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あなたのとりこ 335 [あなたのとりこ 12 創作]

 成程そう云う手があったのかと、組合員は一種の口惜しさに襲われるのでありました。そう云う魂胆であるならば、要求書の作成段階で両部長の賃金に思いを致して役職手当を基準内に入れる、なんと云う配慮なんかは必要も無かったと云う事であります。それより寧ろ住宅手当辺りを入れておけば皆に恩恵が行き渡ったと云うものであります。まあ、あくまで要求でありますから、それが実現したかどうかは不明でありますけれど。
 この両部長の役員昇格と云う人事に対して組合には発言権が無いのは当然であります。それは経営の判断に属する事柄でありますし、自分達の待遇に関わりもないのでありますから。ただ矢張り、両部長は巧妙な抜け道に巧妙に足を運んで、組合結成と云う騒動を利用して社員を出し抜いたんだなと云う思いは強く感じるのでありました。
 片久那制作部長迄も従業員には組合に理解のある辺りを見せておきながら、事が自分の待遇に及べば躊躇いなくそちらの抜け道に進んだのであります。或いはひょっとするとこの人事は社長の思い付きではなく、片久那制作部長の社長への要求だったのかも知れませんし、この人の目論見だったと云う可能性は、これは大いにあり得るでありましょう。
 若し組合にこの人事に不満を表する権利があったとしても、相手が社長と土師尾営業部長ではとんでもない紛糾春闘になっていたところを、回答を要求に沿った形で纏めてくれた恩義は片久那制作部長に多大に感じていた筈だから、組合として面と向かっていちゃもんは付け辛いと云う辺りもちゃんと計量済みなのでありましょう。まあこれはあくまでも組合側の云い分で、片久那制作部長の方には別の云い分もありはしましょうが。
 片久那制作部長の顔を見ると相変わらず口をへの字に曲げて腕組みをして、無愛想且つ不愉快そうにそっぽを向いているのでありました。この佇まいは、事が自分の思惑通りに運んでいる事への満足を隠そうとするための仮面と取れなくもないのでありました。
「片久那さんは当然、役員待遇になる事を納得しているんですよね」
 那間裕子女史がやや敵意の籠った目を向けるのでありました。
「そう云う話しが社長からあった時に、その方が社員の制作部長でいるよりも会社全体を統括し易いと考えて、まあ、暫く迷ったけど、その人事を受ける事にした」
 この云い草をその儘受け取れば、これはあくまで社長の方から切り出された人事案と云う事で、片久那制作部長の謀慮では無いと云う事になりますか。しかしこの手の腹芸は片久那制作部長であれば難なく熟すであろうとも頑治さんは思うのでありました。
「じゃあ、片久那さんは取締役になる事は不本意ではないんですね」
 これは質問と云うより念を押す調子の那間裕子女史の言葉でありました。
「売り上げが落ちているのは紛れもない事実だ。会社の在り方や各自の仕事の遣り方を思い切って徹底的に見直すのは喫緊の課題となる。取締役としてこれまで以上にその辺を強力にリードして行く心算だ。だから全社員の仕事振りにはこれまで以上に目を光らせる事になるだろう。そう云う意味でみんなにも覚悟をして置いて貰いたい」
 那間裕子女史はそう片久那制作部長から一直線に睨まれながら云われて、おどおどと視線を外すのでありました。遅刻常習犯と云う弱みと、何に付けても仕事が大体に於いて遅いと云う自覚があるためか、これは自分への恫喝だと居竦んだようでありました。
(続)
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