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あなたのとりこ 318 [あなたのとりこ 11 創作]

 社長は那間裕子女史の気分には無頓着にそう言葉を重ねるのでありました。
「いえ、未だ何処にも行った事はありませんが」
「最初の海外旅行がケニアと云うのはちょっと重たいように思うけど。まあ、ハワイとかグアムとか台湾とかで少し海外旅行慣れしてから、その後でケニアにでもエジプトにでも行けば良いんじゃないかねえ。どうしてもケニアに行きたい理由でもあるの?」
「学生時代からアフリカに興味があったもので」
 那間裕子女史はそれだけ大雑把に云って後は口を噤むのでありました。
「那間さんはそのためにスワヒリ語の勉強をしているんですよ」
 日比課長が横から社長にそんな事を云い出すのは、那間裕子女史の社長に対する態度がちょっとつれないように見えたので、その手当ての心算でありますか。
「ほう。もう自由自在に喋れるの?」
「いえ未だ全然です」
「英語が出来れば、大概の土地では何とかなるんじゃないのかな。最もその英語も、私はさっぱり駄目なんだけどね」
 社長は哄笑するのでありました。那間裕子女史も愛想で笑顔を作るのでありましたが、全く気持ちは籠っていないのが丸判りの笑いでありましたか。那間裕子女史としては、英語が喋れれば大方事足りるような土地なんか関心も無いと云ったところでありますか。
 そう云う那間裕子女史の、信念、をここで態々社長に表明する事も無いのにと、頑治さんは那間裕子女史の非寛容、或いは高慢ちきを大人気ないと見るのでありました。まあ尤も、ちゃらちゃらお追従的に調子を合わせるだけの態度と云うのも、何やら精神の卑しさを竟々曝け出しているようで感心は出来ないのでありましょうけれど。
 しかしながら、那間裕子女史を含めたここに集う全員は社長に酒肴を奢られている訳であります。依ってそこいら辺はちっとは弁えた謙譲の態度を崩さないのが大人たる者の嗜みと云うものであろうと、頑治さんは那間裕子女史の社長と話す様子を見ながらそんな事をつらつら考えつつ、目の前の揚げ出し豆腐遠に遠慮がちに箸を刺すのでありました。
「へえ、社長は、正月は毎年ハワイで過ごされているんですか。流石に優雅ですねえ」
 日比課長がちゃらちゃらとお追従の言葉を社長に向けるのでありました。と、頑治さんにはそんな風に聞こえたと、まあ、そう云うだけでありましたが。
「女房の姉の一人が向こうに嫁いでいるんで、正月はそこに招かれてね。まあ、毎年と云っても、それはこちらの用で行けない年もあるけど」
「へえ、奥様のお姉様はハワイにお住いなんですか」
 日比課長は何だか妙に大袈裟に感嘆して見せるのでありました。
「向こうで農園を経営している人に縁付いてね。詳しい経緯は知らないが、その連れ合いさんは元アメリカ海軍の軍人さんで、横須賀に勤務していた時に姉と知り合ったと云う話しだ。それでハワイに転属になってその後退役して、ハワイでコーヒー農園を始めて成功したんだよ。なかなかの遣り手で、人を使って結構大々的にやっているよ」
「へえ、そうですか」
(続)
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