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あなたのとりこ 299 [あなたのとりこ 10 創作]

「それから、・・・」
 袁満さんは続けるのでありました。「時間短縮にしても、全総連が掲げる全業種で週三十五時間労働と云う目標からは未だかけ離れた回答ですから、これも再考願います」
 これを聞き終わってすぐ、社長は聞えよがしの嘆息を漏らすのでありました。片久那制作部長は如何にも不愉快そうに眉根を寄せ、土師尾営業部長はと云えば、嘆く社長に対してお追従を示すのが主意か、こちらも小さく嘆息をして見せるのでありました。
「と云う事で、次の回答指定日になりますが、一週間後の同じ曜日同じ時間、と云う事にしたいと思います。それ迄に今回よりは前進した回答をお願いします」
 袁満さんは締め括ろうとするのでありましたが、これ迄ずっと隅に置かれていたような感じの土師尾営業部長がここでやおら言葉を発するのでありました。
「君たちの都合だけで勝手にそんな日取りを決めて良いのかね」
 社長の手前、片久那制作部長だけではなく自分も頼りになる部長である事を主張したいのか、横に居る社長を意識したような眼の微動が見えるのでありました。「社長だって忙しい身なんだ。君達の勝手な都合だけに付き合っている義理は無い筈だよ」
 その言が終わるか終わらない内に、片久那制作部長がその口を封じるためであろう舌打ちの音を響かせるのでありました。その音にすぐに、何か都合の悪い事を喋って仕舞ったかしらと、土師尾営業部長は動揺を見せるのでありました。しかし一端云い出した以上、すごすごと引き下がるのは体裁が悪いから、迫力無く後を続けるのでありました。
「世の中には信義と云うものがあるだろう。自分達の都合だけを勝手に押し付けてこちらの都合を全く省みないと云う態度は、ちゃんとした社会人としてどうなのかな。そんな人達には信義なんか到底感じられないし、そんな人達のために何かをして遣ろうと云う気も起きる筈がない。第一、礼儀の上でも目上の人に対して失礼極まりないじゃないか」
「これは、目上とか目下とかじゃなくて、雇用者と被雇用者、経営側と労働者の団体交渉ですから、そんな世間的な情緒の問題とは趣が違うのです」
 ここは横瀬氏が口を挟むのでありました。
「しかし、何にしても一番底に信義が無ければ何も前には進まないでしょう」
 会社の中で一番信義から遠い人が、この期に及んでそんなお題目を唱えても冷笑を返されるのが関の山と云うものではないか、と頑治さんは心の内で笑うのでありました。
「信義について云えば、これ迄の従業員に対する会社の待遇に長い間従業員が信義を感じなかったから、こうして労働組合が出来たんじゃないですかね。何よりそう云う事を高飛車に云い出す前に、労働法規とか団体交渉についてもっと勉強しておいてくださいよ」
 横瀬氏は軽くあしらうのでありました。ここで、そうだ、の和唱が起こっても良い場面でありますが、初心な組合員達にそんな呼吸は期待出来ないと云うものでありますか。
「そう云う話しはもう良いから、次の回答指定日を双方で確認して、今日のところはこれで終わって良いんじゃないかな」
 片久那制作部長が土師尾営業部長の方に目を向けて云うのでありました。その眼光とつれなさに怖じたのか、土師尾営業部長はすごすごと引き下がるのでありました。
(続)
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