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あなたのとりこ 297 [あなたのとりこ 10 創作]

「夏の一時金も、暮れの一時金みたいな悲惨な事にはならなかったしね」
 袁満さんも同じ思いのようでありました。社長の考えはこの際別にしても、従業員の待遇は多少とも良くなり両部長の損失も殆ど無く、両者が円満に折り合えるとなったら、これはもう実に双方にとって好都合に錬られた回答と云うべきでありましょう。
「額は別にして、悪質性は観られないし概ね明朗な回答だと思うよ」
 横瀬氏も一定程度に納得の様子でありました。
「じゃあ、これで妥結と云う事にするか」
 袁満さんが云うと横に立っていた那間裕子女史が、慌ててその言を制するような手真似をして見せるのでありました。
「あたしは賃上げ額に不満があるわね」
「唐目君、どう思う?」
 袁満さんが目を、何故か急に那間裕子女史から頑治さんに向けるのでありました。
「結構な回答なんじゃないですか」
 そう云った後、頑治さんはこれでは何やらすっかり自分と無関係な他人事のような返答だなと思い返して、仕切り直すように咳払いをして続けるのでありました。「何よりこちらの要求形式に則った回答になっているところに、向こうの真摯さを感じます」
「でも、矢張り額が不満よ」
「しかし、例年よりは額の上昇率は上がってはいる」
 均目さんが異を唱えるのでありました。
「でも向こうが、大いに今迄のあたし達に対する冷遇を悔いて、そのせめてもの贖罪を込めている、と云ったような額じゃ到底ないわ」
「そりゃそうだ、第一向こうは全然悔いてなんかいないもの」
 均目さんが茶化すと他の皆が笑いを漏らすのでありました。
「つまりあたしは、誠意、と云う点を云っているのよ」
「そりゃあ、これだけの事を遣ってやっているんだぞと云った、片久那制作部長のまるで挑みかかるような恩着せがましい説明の口調も、不貞腐れてふんぞり返ってそっぽを向いている社長の横着な態度も、誠意と云う点では大いに相応しくないし、那間さんの云わんとしている辺りは重々判るけど、でもあれはあの二人の疾うに知れたパーソナリティーだからね。そこに拘るよりも示された回答自体にもっと目を向けるべきじゃないかな」
 均目さんは、これは少し真面目腐った口調で云うのでありました。
「だから、示された額そのものの誠意よ。あの額であたし達がおいそれと納得したなら、相変わらず甘いヤツ等だと侮って、内心ほくそ笑むんじゃないの」
「メンツに拘っているんですかね?」
 袁満さんが那間裕子女史に、こんな事を云うと不謹慎だと怒られるかも知れないけど、と云った風の少しの気後れを見せつつやんわり訊くのでありました。
「産声を上げたばかりの労働組合の、その意気込みを見せ付けると云う意味では、確かにメンツの問題でもあるわね。これから先、嘗められないためには最初が肝心だから」
(続)
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