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あなたのとりこ 270 [あなたのとりこ 9 創作]

「この不況下、向こうの方がこっちより仕事が無いだろう」
「まあ比較すればそうだろうけど、でも頑ちゃんなら屹度、上手く何処かの会社に就職出来るわよ。今の頑ちゃんがやっているような仕事なら、向こうにだってあれこれあるだろうし。何ならウチのお父さんに就職の事頼んであげても良いわよ」
「いやあ、それはどうかなあ。・・・」
 頑治さんとしては選りに選って夕美さんのお父さんに就職斡旋を頼むと云うのは、何とは無しに後ろめたい気がして及び腰になって仕舞うのでありました。
「それは別としても、頑ちゃんが向こうに帰ってくれると、あたしとしてはこんなに願ったり叶ったりの事は無いわ。まあ、全くあたしの勝手な希望だけどさ」
「敢えて向こうに帰らない理由を云うとすれば、・・・」
 頑治さんは夕美さんの持つアピンを見ながら云うのでありました。「向こうよりこっちの方が様々な人間が蠢いていて、そんな様々な人間達を見る事が出来るから、かな」
「何、それ。良く判らないけど」
 夕美さんはヘアピンを弄ぶ指の動きを急に止めて、頑治さんが云わんとしているところが上手く解せないと云うような困惑顔になるのでありました。「様々な人間性達が蠢いている様を見るために、頑ちゃんはこっちに残るって云う訳?」
「まあ、折角この世に人間として生まれたんだから、この世に居る色んな人間をより多く見てみたいと云う事だよ。何か茫漠とした理由にしか聞こえないかも知れないけど」
「向こうにだって色んな人達が居るじゃない」
「でもその、色んな、の辺りが、街が小さい分、こちらよりも限定的かな」
「それは人の多さから考えてそうかも知れないけど、でもこっちに居たって、出会う事の出来る人間達と云ったら、結局矢張り限定的にしかならないんじゃないの」
「現実はそうかも知れないけど、でも可能性として、ね」
 頑治さんは云いながら如何にも自分の言葉は歯切れが悪いと思うのでありました。
「でも、地球という視点に立てば」
 夕美さんは云った後、その自分の言葉が如何にも大袈裟過ぎると思ったようで、少し照れるような、恥じ入るような弱気な表情をするのでありました。「こっちでの可能性もあっちでの可能性も、殆ど無意味な程の僅差で、大した違いにはならないと思うわよ」
「そう云って仕舞えば、それ迄だけど」
 まあ、夕美さんの云っている事は間違いは無いのでありました。「でも中途半端でちゃらんぽらんで、嫌に楽天的かも知れないけど、向こうよりはこっちの方が色んな人間達と出会えるチャンスが大であると云う前提は、俺としてはなかなか捨て切れないんだよ」
「だったらいっその事、放浪者にでもなれば良いのよ」
 夕美さんの言葉には頑治さんの考えに対する揶揄が込められているのでありましたが、頑治さんは腹は立たないのでありました。慎に得たり、と云う指摘でありますから。
「尤も、そう云ってみれば確かに、頑ちゃんには放浪者の雰囲気があるにはあるわね」
 夕美さんはその後に付け加えるのでありました。
(続)
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