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あなたのとりこ 241 [あなたのとりこ 9 創作]

 山尾主任は営業部に所属と云う事で営業部フロアの日比課長の隣の、ずっと空いていた席に移ったのでありました。そこは営業部関連の書類やバインダー立て、それに事務書類作成用のワープロ等が載せてあった机でありました。
 その書類とかバインダーとかワープロは甲斐計子女史の向いの、頑治さんの座っていた席に移され、頑治さんは制作部フロアの均目さんが使っていた机を宛てがわれるのでありました。山尾主任が使っていた席には均目さんが移ったのでありました。
 序列的には那間裕子女史が山尾主任の居た席に、均目さんが那間裕子女史の席に順繰りに移るのが順当な移動と云うところでありましょうが、那間裕子女史がこれ迄ずっと整理整頓する事も無く乱雑に、一種手当たり次第と云った按配に押し込んでいた自分の使っていた机の引き出しの中の物を全部出して、新たに山尾主任の席に移動する雑作を拒否したためにそうなったと云う次第でありました。頑治さんがチラと窺った感じでも、確かに手が付けられないと云った那間裕子女史の引き出しの中の在り様でありましたか。
 頑治さんは制作部の仕事も手掛けるようになっていたから、頑治さんの制作部フロアへの移動はあり得る自然な処置でありましょうか。頑治さんとしても土師尾営業部長の顔を間近に見ないで済むのは大歓迎でありましたし、下らない用事を気軽に云い付けられたしする事が無くなるのも大助かりでありました。発送指示書を、頑治さんの制作部の机迄持って来なければならなくなった甲斐計子女史の手間は増えるのでありましたけれど。
 山尾主任はこのところ出社後すぐに日比課長と打ち合わせして、挨拶旁、日比課長に付いて一日中得意先回りをするのが日課なのでありました。制作部の頃から然程人付き合いに熟れていると云う風ではなく、どちらかと云うと人よりモノを相手にコツコツ仕事をする方が性に合っているタイプでありましたから一日中、少しは見知った、或いは全く見知らぬ初対面の誰彼と会話を交わすのは不慣れで気の重い仕事でありましょう。
 その気疲れからか、夕方になってようやく帰社した山尾主任の顔はげんなりしたように見えるのでありました。制作の仕事を熟知している営業マンとして期待していると片久那制作部長に指嗾されて、一大決心をして営業部に移ったと云うけれど、頑治さんには矢張りその仕事は山尾主任には向いていないように思えるのでありました。
 どういう風の吹き回しか、他の営業社員の仕事振りには殆ど何の関心も示さない土師尾営業部長が山尾主任の帰りを待ち構えていて、あれこれとその日逢った人物やら訪問した成果やらを三十分程差しで訊き糺そうとするのも、山尾主任にはかなりの負担のようでありました。ただ論評抜きに報告を受けるだけなら未だしも、山尾主任の先方への名刺の渡し方の迂闊さやら、言葉遣いの不備やら、お辞儀の腰の折り方の角度なんぞ迄何やかやとイチャモンを付けるようなので、それはもう可哀想と云うべきものであります。
 不慣れな者を相手にその不手際を嵩にかかって責め立てて居竦ませて楽しんでいるみたいだと、日比課長も、まあ、土師尾営業部長の居ない場でではありますが吐き捨てるくらいでありました。頑治さんは成程あの土師尾営業部長の遣りそうな事だと思うのでありました。そのくせ当人が片久那制作部長程に人の意を酌む事に長けているとか、表面的な慇懃さだけではない慇懃さを持ち合わせているとは到底思えないのでありますけれど。
(続)
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あなたのとりこ 242 [あなたのとりこ 9 創作]

 山尾主任が冴えない顔色であるのは、仕事の事もそうでありますが、私事に於いても何事か問題を抱えているようにも頑治さんには思えるのでありました。しかしまあこれは頑治さんの勘と云う域からは出ないのでありましたが。
 如何にも新婚の隠せない浮付きが、山尾主任の言動に全く見られないのでありました。しかも照れて敢えて隠していると云うのでもなさそうな気配であります。目算違いと云うのか、順調に結婚まで事を運んだけれど、いざ結婚してみたら当初の目論見と何か齟齬があると云った戸惑いが、素直な喜びの手足を縛っていると云った感じと云うのか。
 均目さんに依れば、山尾主任は自分の頭の中で、あるべき理想の結婚生活風景を描いていたのだけれど、必ずしもそうはいかない現実を前に調子が狂ったのだろうと云う事でありました。云われてみれば確かに、山尾主任には理想主義者の横顔があって、了見を現実に合わせて変容させる生活者的な能力はあんまり高くはなさそうでありますか。
 しかしまるっきり融通の利かない理想主義者、と云う訳ではなく、それなりに功利的で妥協的なリアリストの側面も持ってはいると思われもするのであります。そうでなければ第一、極めて現実的な形態である結婚と云う形式を選択しはしないでありましょうし。まあ、山尾主任の顔付きに於いて、理想主義者とリアリストのどちらの側面が優勢か選べと云われると、それはもうすぐに理想主義者の方を指差す事になりはしますけれど。
 その辺のモヤモヤが山尾主任の顔色を冴えさせない原因と均目さんは見ているようでありましたが、那間裕子女史は少し違った見解のようでありました。
「何かふとした切っ掛けがあったのよ」
 那間裕子女史は確信あり気に頷くのでありました。「別にどうと云う事でもない些細な切っ掛けみたいなんだけど、でも実は大きな気掛かりになるのよ、そう云うものが」
「小難しくて何だか良く判りませんが」
 頑治さんは鈍そうに笑って見せるのでありました。那間裕子女史はそんな頑治さんを度し難い鈍附でも見るような目で眺め遣るのでありました。
「判らない? これこれこうと云うはっきりした理由ではないのよ。でも、まあ、ちょっとした感受性の誤動作みたいな事がふと起こって、何気ない相手の所作や、何でもない表情とか、例えば咳の仕方とか息を吸い込む時に偶々鼻が鳴ったとか、顎に一本髭が剃り残してあるとか、笑う時に出来る目尻の皺の様子とか、そんなのが急に気に障るような、そんな決定的に見えないけど決定的な何事かがあったかも知れないと云う事よ」
「山尾主任の相手さんだから、髭の剃り残しと云うのはないでしょうが」
 頑治さんは別に混ぜっ返す心算ではないながらそんな事を云い返すのでありました。
「まあ、髭の例はあたしが女だからうっかり云っちゃっただけ」
 那間裕子女史は訂正して、それは兎も角も自分の云っている事が理解出来るか、と問うように小首を傾げて頑治さんの目をじっと見るのでありました。
「つまり不条理と云うやつですかね」
「あっさり大袈裟に云って仕舞うと、そう云う風に云えるかな」
「なかなか詩的な理由ではあるけれど、俺には何かちょっと腑に落ちないですかね」
(続)
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あなたのとりこ 243 [あなたのとりこ 9 創作]

「如何にも普遍妥当で尤もらしくは聞こえないから?」
「そうですね。情緒的過ぎると云うのか。それに第一山尾主任の相手さんの顔とか性格とか、生まれ育ちとか、色んな事をこちらは何も知らないんだけど、先ずはその辺から探る方が、山尾主任の不機嫌の原因に迫る方法としては常道かなと思いますがね」
 頑治さんはそう云いながらも、今迄山尾主任が努めてその結婚相手の事を会社の同僚にも話そうとはしなかったのだし、これから先も会わせてくれる気配は殆ど無さそうな按配である以上、その彼女の顔も性格も生まれも育ちも、自分達にはさっぱり知る術も無いかと考えるのでありました。山尾主任の妙に依怙地で頑固で恥ずかしがり屋なところが、彼女の事を傍に喋りたがらない主因ではありましょうが、しかしそれ以外にも何か、秘匿すべき事情でもあるのでありましょうか。まあ、無さそうな感じではありますけれど。

 均目さんの理想主義とのギャップ説、那間裕子女史の不条理説以外に、袁満さんはこのところの仕事や生活の激変に依る体調不良説を唱えるのでありました。最近接触の増えた日比課長に到っては、夜の生活が上手くいかないのかも知れないと云う些か下衆っぽい性的不適合説を、半分面白がりながら口に上せるのでありました。出雲さんは全く斟酌不能と云う困惑の態度でありました。そんな、本人ならぬ者のある意味で勝手で無責任な諸説に囲まれながら、しかし山尾主任の仏頂面は益々その色を深めていくのでありました。
「相当参っているんじゃないかな、山尾主任は」
 二人で昼食後に喫茶店でコーヒーを飲みながら残りの休み時間を潰している時に、均目さんが頑治さんに少しばかり眉間に皺を寄せて云うのでありました。
「そうだなあ。このところ口数がグッと減ったかな」
「何か頬も随分こけたように思うし、顔色も良くない」
 均目さんは自分の頬をへこませて顎を掴んで見せるのでありました。
「本気で心配になって来るな、ああなると」
「仕事が上手くいっていないのは何となく察するけど」
「矢張り山尾主任は営業には向かない人なんだろうなあ」
 頑治さんは手にしていたコーヒーカップを、閉ざした口の前で静止させて暫し気持ちが内向するような目付きをするのでありました。
「相手のお喋りに調子よく合わせる事が苦手で、どちらかと云うと自分の話題に固守する嫌いが元々あったから、営業会話がぎくしゃくして上手く成立しないんだろうな」
 山尾主任は言葉の遣り取りの流れを無視して、何をさて置いても自分の興味の向いている話題だけに場の会話を誘導しようとする、と云った強引なところは無いのではありますが、話しの中身が興味の薄いものであると無表情に口を閉ざして会話から外れようとする傾向があるのでありました。一種の遠慮からそんな風にしているのかも知れませんが、それは傍から見ると如何にも無愛想で興醒めな態度と映る事もあるのでありました。俺は不器用だから人と上手く調子を合わせられない、と山尾主任自らそう自嘲的にものすところを見ると、そう云う面がある事を当人自身も充分承知しているようでもありましたか。
(続)
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あなたのとりこ 244 [あなたのとりこ 9 創作]

「会話がぎくしゃくしてもそれを屁とも思わないあっけらかんとしたところがあれば、場の空気はそう重くはならないんだろうけど、山尾主任はそう云うタイプでもないし」
 頑治さんはここでようやくコーヒーカップを唇に当てるのでありました。
「片久那制作部長に唆されて営業に移ったけど、矢張り無理があったと云うしかない」
 均目さんは口に当てたカップを急角度に傾けてコーヒーを飲み干すのでありました。
「片久那制作部長は何かフォローしないんだろうか」
「しないだろう」
 均目さんが顔の前でコーヒーカップを小さく何度か横に振るのでありました。「好都合にも制作部から追い出したんだから、後は自分の知ったこっちゃないだろうな」
「何か冷たいな」
「大体がそう云う人だよ。気に入らないヤツとか有用と思われない人間に対しては、びっくりするくらい冷淡で過酷な真似をする時がある」
「それにしちゃあ土師尾営業緒部長や社長に対しては控え目だよな」
 こう云いながら頑治さんはこの後に、別に土師尾営業部長や社長が有用でない人と云う心算は毛頭無いけれど、と続けようとして続けないのでありました。
「控え目と云うのはその人間に対して無関心と云う事さ。社長には、一応誰彼は別にしてその役職に対しては敬意を払うと云うスタンスかな。後は経営者として臍を曲げられると現実的に拙いから無難に接していると云う都合もあるんだろうけど」
「まあ確かに土師尾営業部長に接する態度は、とても敬意のある接し方とは見えないけれどね。こっちも一応無難な線で納めてはいるようだけど」
「そう云う事、そう云う事」
 均目さんはコーヒーカップを受け皿にやや騒がしい音を立てて戻すのでありました。
「そうなると山尾主任は、元の上司である片久那制作部長のこの先の後援も期待出来ないと云う事になる訳か。益々山尾主任の頬はこけるな、これでは」
 頑治さんは眉根を寄せて見せるのでありました。「ところで、最近接触の増えた日比課長はどんな立ち位置なんだろうか、山尾主任に対して」
「こちらも後援と云うところでは期待薄だろうな。日比課長は元々山尾主任のような融通の利かない、日比課長流の冗談の通じないタイプは苦手にしているからなあ」
「確かにタイプが全く違うかな」
「山尾主任の夕方の儀式になっている土師尾営業部長との差しでの打ち合わせの時、山尾主任が何か仔細な事で土師尾営業部長のお小言を頂戴している時も、日比課長は自分にお鉢が回って来るのを警戒してか、全く我関せずのつれない態度だからなあ」
「すっかり孤立無援状態と云う訳か」
 頑治さんは一層眉根を寄せるのでありました。これはもう、頬もこければ口数も減るでありましょう。頑治さんは同情を禁じ得ないのでありましたが、かと云って歳下で新参者で部署も違う自分が手助けする術は特には無いし、励ましの言葉を掛けると云うのも身の程知らずに烏滸がましくて、或る意味不謹慎と云うものもでもあるでありましょう。
(続)
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あなたのとりこ 245 [あなたのとりこ 9 創作]

 これは憶測ではありますが、晴れがましい筈の新婚生活も何か上手くいっていない様子であるし、仕事の方も新しい職種に変わって心機一転と云う目算もどこか歯車の狂いが生じているとなると、山尾主任は次第に追い詰められたような気になって仕舞うのではないでありましょうか。その内自棄を起こさないか心配でありますが、山尾主任はどちらかと云うと短気の方だし、楽天的と云う訳でもないから心配はいや増すばかりであります。
 山尾主任ばかりではなく今のところ具体的な動きは保留中と云う感じでありますが、出雲さんも新しい仕事が動き出したら、山尾主任と同じ困惑と焦燥が待ち受けているのかも知れません。まあ、こちらの方は山尾主任よりは諸事呑気なタイプではありますが。
 また、今迄二人でやっていた仕事を一人で熟さなければならなくなった袁満さんも、大変な思いでありましょう。幾ら出雲さんよりももっと呑気な方だとしても。

 組合結成準備会議の席でも山尾主任は精力的ではなくなっているのでありました。今迄は会議を積極的にリードしてきたと云うのに、気も漫ろと云う事ではないのでありましょうが、万事に自信を失くしている所為か発言数も妙に控え目なのでありました。
 職種に関わり無く同一年齢同一賃金と云う採択された方針の下、その体系を保証する新たな賃金式の策定を話し合っている時、最近頓に元気が無いのを気遣ってなのか、均目さんが山尾主任に敢えて発言を求めるのでありました。
「今大体詰められた案として、十八歳で十七万円として一歳増える毎の年齢加算を六千円とする案で、山尾主任は基本給の賃金式は妥当だと思いますか?」
 机上の資料に、肩を窄めて何となく気弱そうな風情で目を落としていた山尾主任は、そう訊かれて生気の無い陰鬱そうな顔をゆっくり起こすのでありました。
「この前から気になっていたけど均目君、その、山尾主任、と云う云い方は止してくれるかなあ。俺はもう制作部の主任じゃないんだから、その呼び方は不本意だなあ」
「でも主任手当は今まで通り給料に付いているし、それに俺としては名前に、主任、と付けた方が、さん、付けなんかより余程しっくりいくし」
 均目さんは均目さんなりの一種の励ましからか笑いながら逆らうのでありましたが、その反応として山尾主任が眉根を寄せて気弱そうなげんなり顔をするのを見て、均目さんは気後れたのかすぐに言を改めるのでありました。「まあそう云われるのなら今後は、さん、付けに切り替えますが、慣れるまではうっかり山尾主任、と云うかも知れませんよ」
 山尾主任はこの均目さんの言葉に力ない笑い顔で応えるのでありました。
「ええと、賃金式だよね」
 山尾主任は均目さんから求められた意見に復帰するために、もう一度机上の資料に目を落とすのでありました。「そうすると例えば、日比さんの方が片久那制作部長や土師尾営業部長より基本給は多いと云う事になるよね。それに甲斐さんも両部長と同じ額になる」
「それは不都合ですかね」
「両部長が納得しないんじゃないかな、それではとても」
「でも役職手当に依って総額で差を出す事は出来ますが」
(続)
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あなたのとりこ 246 [あなたのとりこ 9 創作]

「技術的にはそうかも知れないけど、それにしたって面白くないだろうよ」
「良いじゃないですか。ざまあ見ろ、ですよ」
 袁満さんが嘲りの言葉を以て話しに加わるのでありました。
「確かに袁満君の留飲は下がるとしても、それじゃあとても飲めないと云うんで俺達と両尾部長の間に険悪な対立が生じるだろうな」
 山尾主任はそう反論するのでありましたが、これは片久那制作部長の腹の内を慮っての事でありましょう。土師尾営業部長の方は憤怒が心頭に発したとしても、高々陰湿で当て付けがましい嫌がらせに出るだけでありましょうし、そうなれば全総連のバックを頼みにその理不尽を根気強く、当人と同じ執拗さでこちらが追及すれば何とかあしらう事は出来そうな気もするのであります。まあ、あれこれあの人と言葉を遣り取りするのはげんなりでありますが、しかし遣り込められない事はないでありましょう。土師尾営業部長てえ人は、根っ子のところで性根の据わった硬骨の仁では全くないでありましょうから。
 しかし片久那制作部長は絶対に侮れないのであります。臍を曲げられたら従業員の誰一人としてその論にも手口にも迫力にも、到底太刀打ちする事は出来ないでありましょう。怒らせた時の恐ろしさは想像するだけで身の縮む思いと云うところでありますか。
 しかししかし、一面で、片久那制作部長は土師尾営業部長と違って理を尊ぶ人でもあります。それに我利に走るのを、或いは我利に走っていると人に思われるのを潔しとしない義侠の心根も持ち合わせていると云う辺りのが、救いと云えば救いでありましょうか。その片久那制作部長の義侠心が、同一年齢同一賃金、とか、働く者の自主権、とかの理に多少でも共鳴すれば、何が何でもの抵抗と報復は無いとも思われるのであります。
 それに片久那制作部長は学生時代に全共闘運動に没頭したと云う事でもありますから、その左翼的心情に於いて、経営側よりは労働者側により強く思いを寄せると云う期待もあるのであります。まあこの了見は楽観中の楽観かも知れませんけれど。
 しかししかししかし、片久那制作部長は自分一人が会社を実質的に動かし支えていると云う強い自負があるだろうから、その思いとの兼ね合いで、如何なる態度に出て来るかは全く以って未知数と云うところでありますか。労働組合結成と云う行為が片久那制作部長のプライドに反旗を翻す行為と見做されない事を祈るのみであります。
「確かに土師尾営業部長の方はどうでも良いけど、片久那制作部長を敵に回すのは何とか避けたいよなあ。後の報復が怖そうだしなあ」
 袁満さんが身を縮める仕草をして見せるのでありました。
「その片久那と云う名前の制作部長は、労働運動とかに多少は理解がある人だと云う風に前に聞いていたけれど?」
 横瀬氏が山尾主任の顔を見ながら云うのでありました。
「昔は全共闘運動の闘士だった訳ですから」
 山尾主任がそうは云うものの、それ以上の事は不祥、と云う曖昧な表情を作って一応肯うのでありました。まあ多分、片久那制作部長が学生時代に全共闘運動の闘士だったと云う情報は、山尾主任が横瀬氏に何かの折に齎したものなのでありましょうけれど。
(続)
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あなたのとりこ 247 [あなたのとりこ 9 創作]

「全共闘、かあ」
 これは派江貫氏の言でありました。何となく、シンパシーを感じられないと云った語調でありましたか。同じ左翼的な考えの人だと思うのでありますが、派江貫氏は嘗てあった全共闘運動をあんまり評価していない風でありました。その理由は特にはここで誰も聞かないのでありましたし、派江貫氏もその後に全共闘運動に対する論評を続ける意思は無さそうでありましたが、頑治さんはその派江貫氏の言に呼応して横瀬氏がニヤリと笑ったのが少し気になるのでありました。派江貫氏に同調する気持ちを表わす笑いのようでありますが、と云う事は横瀬氏も全共闘運動には批判的な立場と云う事でありましょうか。
「でもまあ、我々としてはすっきりした賃金体系を会社の中に確立さっせなければ、労働組合を創る意味は無いと云う事になるんじゃないかな」
 均目さんが力説するのでありました。
「それはその通りね。そうじゃないならあたし達は個別に、片久那さんなり土師尾さんなりと自分に見合う賃金の交渉をするしかないものね」
 那間裕子女史が均目さんに調子を合わせるような意見をものすのでありました。
「え、個別に交渉するんですか」
 袁満さんが及び腰を見せるのでありました。
「だから労働組合を創って団体交渉、と云う訳ですよ。ここで私が今更改めて、こんな応答をするのも何だか間抜けな感じがしますけどね」
 横瀬氏が袁満さんを見ながら少し皮肉っぽい感じで言葉を挟むのでありました。
「ああ、成程ね」
 横瀬氏が億劫そうな口調である謂いを殆ど意に介さず、袁満さんは素直に頷いて、一先ず個別交渉は無さそうな様子に無邪気に安堵するのでありました。
「山尾主任、片久那制作部長がムクれないような方策は何かありますかね?」
 均目さんが山尾主任に水を向けるのでありました。
「要するに役職手当で納得して貰うしかないんじゃないの」
 山尾主任が口を開く前に那間裕子女史がしゃしゃり出るのでありました。
「山尾主任もそう思いますか?」
 均目さんが山尾主任にもう一度考えの表明を促すのでありました。
「俺もそれしか考え付かないなあ」
「役職手当が多ければそれは基準内賃金に含まれるから一時金も高くなるし、基準内賃金が高いと云う事は時給も高くなるんだから、残業手当の計算でも有利になる訳よね」
 那間裕子女史がここでも山尾主任の前に嘴を開くのでありました。
「どうです、山尾主任?」
 均目さんはあくまで山尾主任の方に訊ねるのでありました。
「那間さんの云う通りかな」
 山尾主任はそう云って頷くだけでありました。何やら均目さんが山尾主任に代わって、この会議の進行役をやっているような按配だなと頑治さんは思うのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 248 [あなたのとりこ 9 創作]

「しかし抑々役職手当なるものは本来、労働組合の側がその手当額を決められるものではなくて、経営側に決定権があるものなんじゃないですかね」
 これは頑治さんの疑問でありましたが、向けられる先は山尾主任の顔でありました。
「でもまあ、役職手当が基準内に入っているのなら口出しは出来るんじゃないの」
 ここでも矢張り那間裕子女史が山尾主任より先に口を開くのでありました。那間裕子女史はなかなか均目さんや頑治さんの意を酌んでくれないようであります。
「大体、基準内賃金には基本給にプラスして、家族手当とか住宅手当とかが入って来るのが妥当なように思えるけどね。一般的にそうではないんですか?」
 那間裕子女史が横瀬氏に訊ねるのでありました。
「まあ、一概にそうとも云えませんけどね。会社に依って様々ですよ。しかし役職手当よりは家族手当なんかの方が、多くの従業員に恩恵があるとは云えますけど」
「基準内に役職手当が入らなければ、土師尾営業部長や片久那制作部長の納得を到底得られないんじゃないかな。そうじゃないとあの二人の基準内賃金がガクンと減るから」
 これは袁満さんの懸念表明でありました。袁満さんは両部長に吠え面をかかせて遣りたいと願う反面、若しそれで臍を曲げられて、先々土師尾営業部長に見境の無い報復にでも出てこられるのは大いに億劫で、尚且つ恐怖にも思っているようであります。
「山尾さんの主任手当も含まれない事になるし」
 那間裕子女史が山尾主任の方に顔を向けるのでありました。
「でも、主任の役職手当は四千円だけど、山尾主任は今般結婚したんで妻の家族手当がその分付くよ。妻の家族手当は確か八千円だから、増えると云う事になるな」
 均目さんが訂正するのでありました。
「ああそうか」
 那間裕子女史はあっさり納得するのでありました。「じゃあ、山尾さんの場合は、役職手当よりも家族手当が付いた方がお得な訳ね」
「俺は別にどっちでも良いよ」
 山尾主任は自分だけ役職手当を貰っている事を後ろめたく考えてか、或いはここに居る五人の中で自分だけに家族手当が付く事を恐縮してか、はたまた本当にどうでも良いと云う了見なのか、何となく捨て鉢な語調で曖昧に意思表明しないのでありました。
「まあ、営業部長は兎も角として制作部長の賛同を狙うなら、ここは矢張り役職手当を基準内に入れるのが妥当な線じゃないですかねえ」
 横瀬氏が纏めようとしてかそうアドバイスするのでありました。
「こうなったら役職手当も家族手当も両方含めて仕舞えば良いんじゃないですか。ま、どっちにしても俺に関係無い事になるけど」
 袁満さんが横瀬氏の意を酌まないでそんな事を云い出すのでありました。
「社長が絶対納得しませんよ。両部長にしたって緊縮財政方針を打ち出しているんだし、それでは方針と矛盾する事になるから体裁として絶対飲まないんじゃないですか」
 均目さんが云うその口調は袁満さんをあしらうような感じでありました。
(続)
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あなたのとりこ 249 [あなたのとりこ 9 創作]

「じゃあ、基準内賃金は基本給プラス役職手当、と云う事で全従業員の賃金式や時給額、それに夏の一時金の額を弾き出すとして、それは均目君にお願いしても良いかな?」
 山尾主任が役目を均目さんに投げるのでありました。山尾主任はこれ迄なら自分が率先してある意味嬉々としてそう云う仕事を買って出ていたのでありましたが、これは均目さんに任せる意向のようであります。こんな辺りがここに来て山尾主任が組合結成活動に、或いはもっと云えばその他の諸事に対しても、急速に冷えたのではないかと思わせるところかなと、頑治さんは山尾主任に向かって気掛かりの眼差しを送るのでありました。

 ある時均目さんが、山尾主任の結婚が危機にあるらしいと云う情報を頑治さんに齎すのでありました。倉庫で偶々二人になった折、均目さんが他に誰も居ないにもかかわらず声を潜めて梱包作業をしている頑治さんに話し掛けるのでありました。
「旅行から帰って以来、予想通りどうも上手くいっていないようだぜ、山尾主任は」
 それだけ聞いて頑治さんは結婚の事とピンときたのでありましたが、恍けて鈍そうに何の話しだか判らないと云った表情で均目さんに視線を送るのでありました。
「それは仕事に行き詰っていると云う話しかい?」
「それもそうだけど、新妻さんとどうもしっくりいっていないらしい」
 何となくそう云うところがあるのかなと云う推察を、何処と云ってはっきりした兆しも何も無いのでありますが、頑治さんは前からしていたのは件の如しでありました。
「山尾主任が自分でそんな事を漏らしたのかい?」
「うん。この前或る紙加工会社の大々的な創立二十周年パーティーがあって、片久那制作部長は態々行きたくないらしくて、命令に依り二人で金一封を持って代参したんだ。その帰りに飲もうかって事になって、山尾主任と二人で上野の居酒屋に入ったんだ」
「へえ。山尾主任と均目君の取り合わせは珍しいんじゃないの?」
「そうね、二人だけで飲んだのは初めてかな。あんまり話しが合う方じゃないと思っていたから、こちらから誘う事も無かったし、向こうも同じだろう」
「ふうん。で、その席で新妻さんと上手くいっていないと云う話しが出たのかい?」
「そうだね。そんな事はこっちとしたらあんまり聞きたくはなかったけど、会話の流れからそんな話題になっちゃってね。ちょっと内心げんなりだったけど」
 均目さんは顰め面をして見せるのでありました。
「何でまた、上手くいっていないって云うんだろう」
 頑治さんは梱包作業の手を止めて均目さんに訊ねるのでありました。
「それが、これと云って決定的な理由は特に無いらしいんだよ」
「何となく感触として上手くいかない、と云うのかな」
「そうね。結構期待に満ちて結婚してみたものの、何処かのタイミングでちょっとした気持ちの行き違いか何かがあって、歯車の噛み合わせが微妙にズレて、関係がギクシャクしてきた、みたいな事を云っていたかな。言葉は正確な再現ではないけど」
「ふうん。歯車の噛み合わせ、ねえ」
(続)
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あなたのとりこ 250 [あなたのとりこ 9 創作]

「歯車の噛み合わせ、と云うのは間違いなく山尾主任の使った言葉だ」
 そう云えば以前に均目さんも那間裕子女史も、グアム島での結婚旅行から帰って来た早々の山尾主任の、無表情ながらもその下に隠れているかも知れない浮かない気分を察して、均目さんは理想主義と現実とのギャップ説、那間裕子女史は不条理説を頑治さんの前に披露してくれたのでありました。上手くいかないけれど決定的な理由が特に無い、と云うのもそうでありますが、歯車の噛み合わせ、と云う、使われたレトリックの象徴性からも、ここは那間裕子女史の不条理説に近いのかなと頑治さんは考えるのでありました。
「前に均目君や那間さんが感じて危惧していた通りの事が起こっているみたいだな」
「ま、そうね」
 均目さんは深刻顔で頷くのでありましたが、反面、自分の洞察が見事的中した事に、少しの誇らかな満足を覚えているような不謹慎も仄見えるのでありました。
「確かに最近頓にどこか悩んでいるような気配があったけど、仕事だけじゃなくて私生活の方でも色々と気苦労があったんだなあ」
「上手くいかない時は全部重なって上手くいかないものらしい」
 均目さんは箴言めいた事を口にしてしかつめ顔で頷くのでありました。
「勿論、山尾主任はそう云う状態を打開しようとしているんだろう?」
「どうなんだろうかねえ」
 均目さんは懐疑的な表情をするのでありました。「手をこまねいていると云うんじゃないだろうけど、何か積極的に動こうとしている様子は無さそうだなあ。焦ってはいるんだろうけど、どうして良いのか方策が見当たらないと云った感じかな」
「そんなもの、二人で腹を割って話し合うしかないじゃないか」
 と頑治さんは少し強い語調で云うのでありましたが、こう云う云い方は如何にも傍観者の、様々な辺りに思いを致さない無責任な暴言のようだと自分で思うのでありました。
「山尾主任にそれが出来れば、もっと前に危機は回避出来ただろうよ」
「まあ、それもそうだけど」
 頑治さんは語気を落として悄気たように云うのでありました。

 それから暫く経った或る日、また均目さんが倉庫に遣って来るのでありました。
「何か知らないけど、山尾主任の新妻さんが竟に家を出たらしいぜ」
「家を出た?」
 頑治さんはやっていた作業の手を止めるのでありました。
「この前の上野の居酒屋以来気を許したのか、相談がてら時々結婚生活の事を俺に知らせてくれるんだけど、今朝偶々片久那制作部長が未だ出社していなくて、俺と山尾主任しかいない時にそんな事をさらりと教えてくれたんだ。すぐに片久那制作部長が来たんでそれっきり話しは途切れたけどね。勿論那間さんは遅刻常習犯だから居なかった訳だが」
 この際那間裕子女史の遅刻は置くとして、竟に迎えるべき結果を迎えたと云ったところでありましょうが、頑治さんは少なからずの動揺を覚えるのでありました・。
(続)
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あなたのとりこ 251 [あなたのとりこ 9 創作]

「結局山尾主任は何の方策も打てなかったのかな」
「いやそうでもない、と云えばそうでもないしけど、・・・」
 均目さんは言葉を中断して、困惑気に何度か目を瞬いて、何故かその先を続けるのを躊躇うような気配を見せるのでありました。
「何かしらの手は勿論打ったんだろうなあ」
「手を打ったと云うのは適切な表現じゃないかな」
 均目さんは再度この先を続けて良いものかどうか少し躊躇うように、一拍の間を置くのでありました。「大いに悩んで考えた方策と云うのが、まあ、何と云うのか。・・・」
「何だよ、思わせぶりだな。で、山尾主任はどんな対処をしたんだい?」
 頑治さんは先をせっつくのでありました。
「山に行ったんだ」
「ふうん。二人で山に登った訳か」
 頑治さんは、山尾主任は新妻さんと二人で共通の趣味である山登りをして、何時もとはガラっと違う環境で二人でじっくり話しをして、関係を修復しようとしたのだろうと咄嗟に考えたのでありました。しかしどうやらそんな訳ではないのでありました。
「いや、山尾主任一人で山に行ったんだよ」
「一人で? 何だいそれ」
 頑治さんは呆れるのでありました。「それが何の解決を導くんだい?」
「自分の心の整理をしようとしたんだろうな、多分」
「何云ってんだい。それじゃ単なる遁走じゃないか」
 頑治さんは吐き捨てるのでありました。
「俺に怒っても仕方が無い」
 均目さんは頑治さんの初めて見せる剣幕にたじろぐのでありました。
「ああいやご免。均目君に怒っているんじゃないよ、勿論」
「俺も正直呆れたよ。何を考えているんだこの人はってね。本気で新妻さんとの関係を修復する心算があるのかしらって。がっかりしてこっちの力が抜けたくらいだ」
「下らん。無意味と云うのも馬鹿らしい」
 そう云って舌打ちした後で頑治さんは前に会社に居た刃葉さんを思い浮かべるのでありました。刃葉さんはよく、下らん、と独り言をしていたのでありましたか。
「ここが正念場だと云うのに、或る意味、好い気なもんだよな」
 均目さんもそれ以外の言葉が無いと云った風でありましたが、しかしこの後ほんの少し山尾主任の了見の解説を試みるのでありました。「一人で山に登って心の整理をしたら、その後新妻さんとの話し合いに臨もうと云う目論見だったのかも知れないけど」
「そうだとしても、悠長と云うのか、呑気と云うのか、ピンボケと云うのか」
「確かに山登りなんかに行っている場合じゃない。先ずやる事は、間違いなく山登りじゃない。でも山尾主任は真っ先にやる事として山登りを選んだんだ」
「若しもそうだとしたなら、もう、付ける薬は無いな」
(続)
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あなたのとりこ 252 [あなたのとりこ 9 創作]

 頑治さんは溜息を吐くのでありました。それは確かに山尾主任にしたらそれなりの考えがあっての事かも知れませんが、しかしそれは如何にも独りよがりの甘ちゃんの仕業でありますか。外形的には、何もかも放ったらかしにして山に逃げ出したと云う以外の意味は付与出来ないでありましょう。まさに茶番と云うべきであります。
「で、山から帰って来ると、新妻さんが居なくなっていたと云う事らしい」
 均目さんが茶番の後段を語るのでありました。「一緒に暮らしている山尾主任のお母さんの話しだと、山尾主任が一人で山に出掛けたその日の内に、新妻さんは家を出て行ったらしい。ちょっと実家に行って来ると云い残してその儘帰らず、と云う話しだ」
「嫁さんも山尾主任の仕業に呆れたんだろうさ」
 頑治さんは同情を寄せないでぶっきらぼうに云うのでありましたが、心底から冷ややかなら、こんなに頑治さんが悔しい気持ちになる事はないでありましょうか。

 それは確かに唐突な事態でありましたが、頑治さんはそうなるであろう予測は前から付いていたと云えば付いていたのでありました。恐らく均目さんも同じでありましょう。そのための兆候も不足無く、充分過ぎるくらい揃っていたとも云えるのであります。
 その山尾主任が辞表を土師尾営業部長の前に置いたのでありました。均目さんにも頑治さんにも、誰にも相談する事無く、山尾主任一人の判断と決意からでありました。
 出社してすぐだったので頑治さんもその場に期せずして居合わせたのでありました。他には出雲さんと甲斐計子女史が居たのでありましたし、マップケースの壁の向こうにある制作部のスペースには、片久那制作部長と均目さんが居たのでありました。制作部にもこちらのただならぬ緊張感は充分伝わった事でありましょう。
 前に置かれた山尾主任の、辞表、と表書きしてある白封筒を手に取って、土師尾営業部長は勿体を付けた仕草で中を確認するのでありました。
「どう云う事だろう?」
 土師尾営業部長は山尾主任を見上げながら、如何にも落ち着いた物腰で問うのでありました。慎に意外、と云った驚きを落ち着きの中に籠めていると云った体裁を装っているのでありますが、頑治さんにはどこか芝居じみて見えるのでありました。たじろがないところを見ると土師尾営業部長にとっても意外中の意外、ではなかったのでありましょう。
「そこに書いている通り一身上の都合です」
 山尾主任は無愛想に応えて浅くお辞儀するのでありました。
「ちょっと待ってて」
 土師尾営業部長は立ち上がって、山尾主任の前を擦れ違うように通り抜けて制作部の方に行くのでありました。それから片久那制作部長を伴って戻ると、その儘突っ立っていた山尾主任に向かって声を掛けるのでありました。
「山尾君、ちょっと話し合いたいから社長室に一緒に来てくれるか」
 その後土師尾営業部長を先頭に三人で事務所を出て行くのでありました。社長室は二階にあるのでありました。もう社長も出社しているのでありましょう。
(続)
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