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あなたのとりこ 291 [あなたのとりこ 10 創作]

「ふうん。なかなかしおらしいところがあったんだ、高校生の夕美は」
 頑治さんは冗談半分でそうからかうのでありました。まあつまり、半分が冗談で、もう半分は満更冗談と云う訳ではない頑治さんの心根でありますか。
「今はその面影も無いって云われているみたい」
「いやいや、勿論夕美は何時も俺の目にはすごく可愛いよ」
「ああそう。どうも有難う」
「いや、本当に」
 頑治さんは少し真面目な表情をするのでありました。「俺は大学の学食で再会してからずっと、夕美の虜だもの。これは全く嘘じゃないよ」
「それを云うなら、あたしは中学生の時から頑ちゃんの虜って事になるわね」
「期間は短いかも知れないけど、俺の虜はグッと温度が高い」
「温度にしたって、なかなかあたしも負けないわよ」
 何やら埒も無い虜加減の比べっこみたいな様相であります。
「ところで引っ越しの整理はぼちぼち付いたのかな」
「まあ、ぼちぼちね。箪笥とかベッドとか大きな荷物は持って行かないし、布団もこっちの叔母さんの処に置いていくし。持って行くのは本と洋服と化粧品と歯ブラシくらい」
「俺のアパートにも夕美の物があるぜ。ヘアドライヤーとか化粧水とか、それに髪留めとかさ。着替えに持ってきたシャツも何枚かある」
 頑治さんは片隅にあるファンシーケースを指差すのでありました。
「邪魔じゃないなら、それはここに残しておくわ。東京に出て来た時に使うから」
 夕美さんはそう云うものの、立ち上ってファンシーケースの中の頑治さんの衣類に混じって、ハンガーに吊るしてある自分の衣類を一応念のために確かめるのでありました。
「俺の洋服なんかはご存知のように極めて少ないから、全然邪魔じゃないけど」
「あ、これは持って行こうかな」
 夕美さんは頑治さんの返しの言葉なんかてんで聞いていなかった風に、一着の、空色に目立たないような紺の細い縦縞が入っているボタンダウンのシャツを、ハンガーごとファンシーケースの中から引っ張り出すのでありました。
「どうぞご自由に」
 夕美さんはそのシャツを畳んでネコのぬいぐるみを入れて来たバッグに、未だ中に入っていた何冊かの本を取り出した後で仕舞うのでありました。
「この本も頑ちゃんの処で預かっておいて貰いたいの」
 ネコのぬいぐるみを取り出した時に比べれば些かぞんざいに、夕美さんは床の上に取り出された本を指差すのでありました。それは考古学の本ではなくて、英語の童話の絵本が数冊と、ストレッチ運動の教則本とか、料理の本でありました。中にi伊東静雄の詩集と野呂邦暢の小説が混じっているのは些か異色の感がありましたか。
「別にそれは構わないけど、この本は手元に置いておかなくても良いの?」
「うん、当面は。捨て難いけど普段は殆ど手に取らない本よ」
(続)
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