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あなたのとりこ 271 [あなたのとりこ 10 創作]

「放浪して、行く先々でいろんな人に出会うと云う事か。それも悪くないかな」
 自分が云った不用意な一言で頑治さんが満更でもない気になった様子に、夕美さんは少したじろぐような表情をするのでありました。
「あ、だめよ、本当に放浪になんかに出ちゃ。ほんの冗談で云っただけなんだからね。頑ちゃんに放浪に出られたら、益々二人が一緒になるのが遅くなっちゃうんだから」
「まあ、俺もそれ程能天気なヤツと云う訳でもないよ」
 頑治さんはふと前に会社に居た刃葉さんの事を思い浮かべるのでありました。刃葉さんもある種の放浪者の一人なのかも知れません。
「それなら良いけど。頑ちゃんならやり兼ねないと思って心配になっちゃって」
 夕美さんは決まり悪そうに笑うのでありました。「でもまあ、良いわ。放浪に出て音信不通にならないで、あたしが時々東京に出てき時には必ず会えると云うのなら」
「それは保証する。俺も夕美に逢いたいし」
「でも頑ちゃん、・・・」
 夕美さんはまた頑治さんの顔を覗き込むのでありました。「色んな人達と知り合いになったり友達になったりして、頑ちゃんはその先に何をしたいのかしら?」
「別に友達になると云う訳じゃないよ。敵対する知り合いと云うのもあるし。ただ要するに色んな人間を実見してみたいんだよ」
「つまり観察者、ね」
「まあ、そっちの方が近いのかな。そう云うヤツは如何にも人が悪そうで、あんまりスカッと爽やかで格好良い存在、という感じじゃないだろうけど」
「で、結局、色んな人達を観察して、その後に頑ちゃんは何をしたいの?」
「いや別に、・・・後の事は何も考えていないよ」
「壮大な人間ドラマを書く、とか云う野望でも、ある訳?」
「いやあ、それはどんなもんかなあ。第一俺には物語なんかの構成力とか、大した文才なんと云うものはからっきし無いからねえ」
 頑治さんは情けなさそうな顔をして見せるのでありました。
「そうでもないんじゃないの。本とかあたしなんかより一杯読んでいるし」
「それとこれとは全く違うものか、或いは無関係な嗜好に属する話しじゃないかな。まあ精々ずうっと先に、歳を取ってから、世の中の色んな機微に生半可に通じている、落語の横丁のご隠居さん程度になれれば、それはそれで御の字と云う辺りだな。まあこれは一種の比喩で、別に将来、本気で落語のご隠居さんを目指している訳じゃないけど」
 ここで夕美さんは今の頑治さんの言葉に触発されて、頑治さんのご隠居さん姿を頭の中でふと想像したのか、クスッと吹くのでありました。
「頑ちゃんがこっちに居る事に拘る理由は、あたしには今一つ理解できないけど、でもその志望が一区切り付くまで、頑ちゃんの意向を尊重して黙って見守る事にするわ」
 夕美さんは意外にあっさりとそう云って笑うのでありました。勿論その笑いには諦めと寂しさの色合いも濃く含まれている事を、頑治さんは充分感知するのでありました。
(続)
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