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あなたのとりこ 216 [あなたのとりこ 8 創作]

 那間裕子女史は云った後で頑治さんの方に瞳を流して笑むのでありました。これで良かったかしら、と云った頑治さんへの確認の心算でありましょうか。
 この成句は実は、ずっと前に上野の鈴本演芸場で志ん朝師匠の『三枚起請』と云う落語を聴いて覚えたものでありました。その噺の中の花魁の科白に「親切の国から親切を広めに来たような人」と云うのがあって、どう云う訳だか何となく気に入って、親切、をあれこれ違う言葉に云い換えて頑治さんは時々会話の中で使うようになったのでありました。序に云えば、この場合だったら、親切を広めに、を、親切教を広めに、と変えるのは別に頑治さんが複製権に配慮したためでも何でもなく、単なる勘違いからでありましたが。
「とまれかくまれ、喜ばしかるべき結婚旅行を二週間後に控えたところで、こういう配置転換の話しを持ち出されるのは、山尾主任としては堪らないよなあ」
「それこそ、仕方が無い、とか云う科白を通り越して、ひどいよね」
 この点は那間裕子女史も山尾主任に同情的なようでありました。
「どうしてこのタイミングでそんなひどい話しを出して来たんだろう?」
 均目さんは暗に片久那制作部長を批判しているようでありました。
「山尾さんの結婚旅行の日取りと、配置転換の話しを出す今日と云うタイミングには、特にはっきりとした関連はないんじゃないの」
「でも片久那制作部長は山尾主任の結婚の日取りを知っていた筈だし」
「配置転換の話しは片久那さんより土師尾さんの提起でしょうし」
「それでも、山尾主任が結婚旅行から帰ってからでも良かったろうに」
 先程の、仕方が無い、と云う科白との兼ね合いも含めて均目さんは片久那制作部長の非情さと云うのか、せめもてもの思いやりの無さに憤っているようでありました。
「土師尾さん主導で、提案に今日が選ばれたんじゃないの」
「片久那制作部長がもう少し待てと云えば、力関係から土師尾営業部長は従う筈だぜ」
「それもそうだけど、まあ結局、片久那さんにも山尾さんに対するそれ程の敬意とか配慮とかは無かったと云う事ね、つまり」
 那間裕子女史は皮肉っぽい笑いを片頬に浮かべて云うのでありました。

 そう云えば以前、片久那制作部長は山尾主任を実際のところそんなには買ってはいないとか云う話しを、均目さんからだったか那間裕子女史からだったか、聞いた事があるのを頑治さんは思い出すのでありました。それは会社での仕事振りに於いても、それにその人間的要素に於いても、と云ったニュアンスでありましたか。
 仕事では、云われた事は最低限そつなく熟しはするけれど、気が利くタイプでは無いからそれ以上の期待は出来ないと云う点で物足りないようであります。人間的要素の点では、頑固さとか融通が利かないところとか、冗談が通じないとか洒落が判らないとか、何となく須らく考えに甘さが見える辺りとか進取の気概に欠けるとか、まあ、色々とあるのでありましょうが、要は、片久那制作部長と山尾主任とは馬が合わない同士と云う点に尽きるのでありましょうか。そう云って仕舞えば身も蓋も無いでありましょうけれど。
(続)
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