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あなたのとりこ 88 [あなたのとりこ 3 創作]

 事態が全く以って険悪になったところで、事務所入り口のドアが少しの軋みの音を立てながらまたも開くのでありました。入って来たのはブリーフケースを下げた日比課長でありました。外回りの営業を終えて帰社したのでありましょう。日比課長はすぐに事務所内の不穏な空気を察して表情を強張らせるのでありました。
 日比課長の席は、土師尾営業部長のデスクの横に立っている刃葉さんのすぐ後ろでありましたが、そこに戻るのを何となく躊躇するような物腰で、こちらも袁満さんに視線を送るのでありました。袁満さんは先程の出雲さんの時と同じように顰め面をして、げんなりと云った感じで首を数度ゆっくり横に振って見せるのでありました。
 土師尾営業部長は頑治さんの時に見せた助けを求めるような表情を日比課長にも送るのでありましたが、日比課長は刃葉さんに臆してかそれに応える気は更々無いようで、入り口に一番近い出雲さんの机の、出雲さんが置いた旅行カバンの横に自分のブリーフケースを置いて、それに手を掛けてその場から動かずに経過を見る構えのようでありました。
「早く辞めろと云うのは部長命令ですか?」
 刃葉さんは先程の悶着の続きを再開するのでありました。
「命令と云うのじゃないんだ。提案のようなものだけど」
「じゃあ、拒否出来るんですね?」
「それはまあそうだけど、・・・」
 土師尾営業部長はやや口籠もるのでありましたが、ここで引き下がれば自分が刃葉さんに蔑ろにされたのを皆に態々披露したような按配になると判断したのか、少しの間を置いてから体裁上決然と、と云った具合に顔を起こして睨み付ける、と云うには少し弱い目付きで刃葉さんを見上げるのでありました。「でもまあ、もう一考えて見てくれよ」
 決然と云い放つと云うよりは懇願するような具合のその科白に、聞きながら頑治さんは心の内で小さくずっこけて見せるのでありました。
「さっきからそれは困るって云っているでしょう!」
 刃葉さんはまたもや熱り立つのでありました。あまりに諄いと堪忍袋の緒も竟には切れるぞと表明するようなやや恫喝的な荒けない言葉でありました。若し刃葉さんが暴力に訴えるような事態になれば、他の人は手出しをする気が全く無いようでありますから、仕方なくここは自分が止めに入るしかあるまいと頑治さんは臍を固めるのでありました。
 しかし頑治さんの出番は、営業部と制作部の仕切りになっているマップケース横に立った片久那制作部長の一言に依って、幸いにも潰えるのでありました。
「刃葉君、好い加減、そのくらいにして置けよ」
 思わぬ仲裁者の出現に刃葉さんと土師尾営業部長は同時に顔をそちらに向けるのでありました。その顔てえものは、刃葉さんは熱り立った表情の儘であり、土師尾営業部長はやっと現れた助け舟に縋るような、見ように依っては情けない表情でありましたか。
 刃葉さんは何か言い返そうとするのでありましたが、片久那制作部長のクールでありながらも問答無用な言葉付きに気勢を削がれたのか、口元をモグモグと動かすのみでありました。畏怖から、刃葉さんは片久那制作部長を苦手にしているようであります。
(続)
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