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あなたのとりこ 85 [あなたのとりこ 3 創作]

 この後車の中は気まずい空気に満たされるのでありました。お互いそれ以降一言も言葉を交わさないのは当然の成り行きと云うものであります。

 会社近所の中華料理屋で昼食を摂った後、頑治さんと均目さんは三年坂途中に在る一階がスポーツ用品店になっている雑居ビル地下の狭い喫茶店に入るのでありました。このところ時間が合えば頑治さんは均目さんと一緒に昼食を摂り、その後この喫茶店で午後の始業時間まで過ごすのが恒例となっているのでありました。
「ああ、羽葉さんの独り言ね」
 均目さんは手にしていたコーヒーカップをテーブルの受け皿に戻して、苦笑を片頬に浮かべながら何度か頷くのでありました。
「この前の事だけど、運転中に突然、下らん! とか吐き捨てるように云うもんだから、咄嗟に喧嘩を売られているのかと思ってびっくりしたよ」
「あれはあの人の子供の頃からの癖みたいだね」
「当人も後でそう云い繕っていたけど」
「俺も会社に入ったばかりの頃、その洗礼を受けた事があるよ。何だか知らないけど不本意な事があって、運転中にその事を考えていて、で、思わずそう口走ったんだね」
「それにしても傍迷惑な癖だな」
 頑治さんはあの時を思い出しながら不機嫌な声で云うのでありました。
「あの人は周りに人が居ようが居まいが関係ないんだ。その場の状況とかに全く意識が向かわない人だから、何時でも何処でも衝動的に何でも口走る。本人には悪気は無いようだけど、よく誤解されてプライベートでも色んな人の不興を買っているらしいよ」
 均目さんはまたカップに手を掛けるのでありました。「で、喧嘩にでもなったの?」
「いや、刃葉さんがすぐに気が付いてあっさり謝ったからそうはならなかったけど」
「それは良かったな。でも前に山尾主任にもそれをやらかして仕舞って、その時は喧嘩になったらしいよ。丁度山尾主任が運転していて、助手席の刃葉さんが、冗談じゃない、とか云う言葉を口から零したらしい。山尾主任は短気で直情的なところがあるから聞き流したり出来なくて、すぐに路肩に車を止めて、何か云いたい事があるのならはっきり云ってみろ、とか助手席の刃葉さんの胸倉を掴んで詰め寄ったみたいだ」
「へえ、山尾主任も柔道と合気道の有段者に対してたじろがない人だなあ」
 あの時の自分も、若し殴り合いの喧嘩になっても引くに引けないと即座に覚悟したのはさて置いて、頑治さんは山尾主任の無謀に批判的な言辞を被せるのでありました。
「自分の方が先輩でもあるし、山尾主任も興奮したら後先考えない人みたいだからね」
「それで修羅場が現出したのかい?」
「刃葉さんはムッとして、胸倉を掴んでいる山尾主任の手を逆に取って引き離したようで、そこまでは修羅場へ一直線に向かう途上の経緯だと云える」
 均目さんは勿体を付けて一呼吸置くのでありました。「でも結局その後すぐに刃葉さんが謝って、事無きを得たと云う顛末だったようだね」
(続)
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