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お前の番だ! 345 [お前の番だ! 12 創作]

 流輩の思いがけない淪滅と云う椿事よりも、稽古の絶対不断を興堂範士なら屹度尊ぶように思われるのでありました。興堂範士の生まれながらの茶目っ気やら、社交性やら世間の耳目を集める派手な行動やら、その多岐に渉る人脈やらから誤解される事も多かったでありましょうが、興堂範士とは実はそう云う人なのでありました。
 万太郎は興堂範士の亡骸が遠路神保町の道場に帰着した、葬儀より二日前の夜に、是路総士のお伴でその空しくなった姿に接するのでありました。道場に大がかりな神壇が設えられていて、その前に白絹の張られた棺が横たえられているのでありました。
「この度は思いもかけない事でした」
 是路総士は棺の小窓から興堂範士に対面した後、棺脇に座る興堂範士の長男殿と、その横で手持無沙汰そうに畏まっている威治教士の前に座して、お悔やみの言を述べるのでありました。万太郎は後ろに控えて、無言でお辞儀をするのでありました。
「態々お出でいただき有難うございます」
 長男殿は深刻そうな表情をして是路総士に深く頭を下げるのでありました。それに倣うように、少し遅れて威治教士も、長男殿よりは浅めに頭を下げるのでありました。
 是路総士は長男殿とは、此の人が子供であった頃からの見知った間柄なのでありました。長男殿も威治教士も昔は時折興堂範士に総本部道場に連れて来られたりして、稽古の後に是路総士や寄敷範士に遊んで貰った事もあったようでありました。
「今日は未だ葬儀の準備などもありましょうから、私の方はこれにてお暇します。ここまで色々と気苦労が重なっておられましょうが、どうぞくれぐれもお体をお厭いください」
 是路総士は長男殿に畳に両手をついて、もう一度丁寧な礼をするのでありました。
「有難うございます。総士先生、葬儀の時にはどうか宜しくお願い致します」
 そう云って答礼する長男殿の横で、威治教士は終始無言で一応は畏まった体裁を作っているのでありましたが、悲嘆に眩れていると云う風でもなく、余りの事に虚ろな心理状態になっていると云う感じでもなく、何やら、ただ単にこうして棺の傍に座っている事に、大いにげんなりしていると云った態であるように万太郎には見えるのでありました。
 威治教士は父親の死と云う現実を息子として、それに興堂派道場総帥の死と云う現実を道場長として、今一体どのように受け止めているのでありましょう。威治教士の顔からはその辺りの深刻さが、どうも決定的に欠落しているように見受けられるのでありました。
「稽古は今日から葬儀までの三日間、お休みするのかな?」
 是路総士は威治教士の方に顔を向けて訊くのでありました。
「ええ。それに葬儀の後、後片づけもあるのでもう一日休みます」
 威治教士は何故かおどおどとしながら返答するのでありました。
「ああそうですか。向後、道場が落ち着きを取り戻すまであれこれあるかも知れませんが、私で出来る事は何でも手伝います故、何なりと云ってくださいよ」
 是路総士のその言葉に、威治教士は竟出て仕舞ったと云うような追従笑いなぞを浮かべて、無言で愛想をしているのでありました。
「ではこれで失礼します。葬儀の日は一時間前に来ればよろしいですかな」
(続)
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