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お前の番だ! 344 [お前の番だ! 12 創作]

「参りました。僕如きでは到底及ばないと云う事を痛感いたしました」
 万太郎は木刀を左手に納め、それを右手に持ち代えながら是路総士に一礼するのでありました。肩が僅かに上下するのは、無意識にずっと息をつめていたからでありましょう。
「いや、お前の剣は何とも読み難いところがあるなあ」
 是路総士は少なからず持て余したように嘆息するのでありました。
「押忍。申しわけありません」
「いや別に、謝るような類のものではないが」
 是路総士はそう云って見所の方に下がるのでありました。その背中にもう一度お辞儀してから、万太郎は何気なく下座の方を見るのでありました。
 そこには鳥枝範士と寄敷範士、それにあゆみと来間の他に、稽古前の道場仕事を終えた準内弟子の片倉と狭間とジョージのお顔も在るのでありました。準内弟子の三人は万太郎と是路総士の乱稽古に少なからず感奮を覚えたようで、万太郎に向けているその目の表情に、畏怖と驚嘆の色が浮いているのが認められるのでありました。
 余談ながらこの三人はそれ以降、頻りに万太郎に剣術の稽古をつけて貰うのを強請るようになるのでありました。勿論、来間もそのお強請り連中に加わるのでありました。
「さあ、未だ折野と試合っていないのは鳥枝さんだけだが?」
 是路総士は見所に座ってから鳥枝範士に向かって声をかけるのでありました。
「いや、ワシは折野との乱稽古は、ワシの権威を失墜させないためにも今日は止めておきましょう。ワシは今の折野程、総士先生を手古摺らせた経験は一遍もありませんからなあ」
 これはつまり、自分の不戦勝と云う事かなと万太郎は頭の隅で考えるのでありました。この鳥枝範士の言葉に万太郎は些かならず気分が良くなるのでありましたが、不謹慎の誹りを恐れて、それは極力顔の表面には表わさないように努めるのでありました。
 それにしても、些か程度は手古摺らせたとしても自分が未だ是路総士の剣の境地の、足元にも到達していない事を万太郎は遺漏なく思い知るのでありました。是路総士の剣の腕前は精進の賜物なのか、それとも天賦の才と呼ばれるものなのかは万太郎にはよく判らないのでありましたが、出来れば精進の賜物であって欲しいと願うのでありました。
「さて、そろそろ午前稽古の時間になりますから、この辺で打ち上げますか」
 是路総士が見所から立ち上がりながら云うのでありました。この偶さかの範士と内弟子の剣術稽古は、実のところ自分の剣の腕前を試されるための稽古のようであったと、一同打ち揃うて神前に座礼しながら万太郎は一人思うのでありました。

 興堂範士の葬儀は、真夜中にその外つ国での急逝の報に接した日より丁度十日経った日に、神保町の興堂派の本部道場で神式で執り行われるのでありました。その日に興堂派が稽古を中止したのは勿論でありましたが、調布の常勝流総本部道場も同流の巨星の堕つるを悼むために、臨時にその日の一切の稽古を取り止めるのでありました。
 あの世の興堂範士も、この娑婆における彼の人のための臨時の稽古休止を詰りはしないでありましょう。いや、或いは詰るかも知れないかと、万太郎はふと思うのでありました。
(続)
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