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お前の番だ! 302 [お前の番だ! 11 創作]

 興堂範士が労わるような声で云うのでありました。「さっきも云ったように、ワシも威治もすぐに返事を貰おうとは思ってはおらんよ。しかしまあ、考えてはみてくれんかな?」
 その興堂範士の問いかけに応えるあゆみの言葉は聞こえないのでありました。その儘また暫くの間、師範控えの間の空気は重く沈んでいるのでありました。
「あのう、あたし、ちょっと失礼しても構いませんでしょうか?」
 ようやくまた、羽化したばかりの蚊の羽音が聞こえるのでありました。控えの間に居る誰が、そう云って出て行こうとするあゆみを阻止出来るでありましょうや。
 障子戸が開けられると、何故か万太郎は反射的に身を竦めるのでありました。万太郎はすぐさま両手を床について座礼の容を取るのでありました。
 あゆみは自ら開けた障子戸を出て座敷の方に向き直って廊下に正坐して、一礼してから静かに障子戸を閉めるのでありました。その後、廊下の傍らに控えて自分の方にお辞儀している万太郎に目を向けるのでありました。
 何となくあゆみの顔が見辛くて万太郎は頭を上げられないのでありました。あゆみは万太郎に何も言葉をかけずに、如何にも静黙に母屋の食堂の方に立ち去るのでありました。
 あゆみの無言の退去が、どうしたものか廊下でお辞儀するしか能のない自分を咎めているように感じて、万太郎はたじろぐのでありました。あゆみに咎められる筋合いは何もない筈なのでありますが、しかし万太郎は立ち去るあゆみに頭を下げる以外に何も反応しようとしない自分が、慎に申しわけないような思いに駆られて仕舞うのでありました。
 玄関の方から、誰かを応接するジョージの気配が伝わってくるのでありました。恐らく仕出し弁当が届けられたのでありましょう。
 万太郎はその場を立って受付兼内弟子控え室に静かに向かうのでありました。丁度玄関の引き戸が閉まったところで、廊下には重ねられた四つの弁当を前にしてジョージが両膝をついて姿を見せた万太郎を見上げるのでありました。
「弁当を先生達の部屋に持っていきますか?」
 ジョージが流暢な日本語で万太郎に訊くのでありました。
「いや、取り敢えず食堂の方に運んでくれ」
「押忍。承りました」
 ジョージはそう云うと弁当を四つ重ねた儘胸に抱くのでありました。万太郎の方はすぐに師範控えの間に取って返すのでありました。
「押忍。食事の用意が調いましたが、今から運んでよろしいでしょうか?」
 あゆみが退室したからか、しめやかながらもやや緊張が緩んだような様子の座敷の中に向かって、万太郎は廊下から障子戸越しに声を上げるのでありました。
「ああ、そうしてくれ」
 寄敷範士の返答がすぐに返ってくるのでありました。緊張が解れたとは云え、その後に中であれこれ話しに花が咲くと云った状況ではないらしく、万太郎の言葉に返事する寄敷範士の声は、待ってましたと云わんばかりの調子に聞こえるのでありました。
「押忍。承りました」
(続)
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