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お前の番だ! 265 [お前の番だ! 9 創作]

 大岸先生は退院したばかりの是路総士を労わるように、横に座って欲しい物はどれかと声をかけてから料理を小皿に取ってやったり、腰は辛くないかと始終気遣ったりするのでありました。是路総士の猪口が空けばすかさず徳利の酒を注ぎ入れてそれを満たし、そのくせ、今日はたんとはいけませんよ、等と横目でその顔を覗きこんで窘めてから、目があうとはにかむように伏し目で笑むのは、何やらまるで相愛の夫婦の如くでありましたか。
 万太郎はそんな様子を見ながら、母親と云っても不自然でないくらいの歳であるのに、大岸先生がやけに可愛らしく見えたりするのでありました。意外や意外、いや全くの意外と云うわけでも実はないのでありましたが、大岸先生は是路総士を心秘かに慕っているのではないかしらと、万太郎は二人の微笑ましい姿を横目に考えるのでありました。

 次の日の夕刻に、興堂派道場の威治教士が総本部道場を訪ねて来るのでありました。威治教士は興堂範士の意を受けて、是路総士の退院を祝しに現れたのでありました。
 その日夕刻の専門稽古を終えて、夜の一般門下生稽古までの暫しの休憩時間に、食堂で来間の淹れてくれたコーヒーを飲んでいる万太郎の傍に、取り次いだ準内弟子の狭間が報告に来るのでありました。一応師範控えの間に通したと云う事でありました。
「判った。すぐに茶を出せ。その前に総士先生にご報告しろ。総士先生はお部屋だ」
 万太郎は狭間にそう指示して食堂の椅子を立つと、急いで範士控えの間に向かうのでありました。是路総士の退院祝いに来たのだろうとはすぐに察しがつくのでありました。
「若先生、いらっしゃいませ」
 万太郎は先ず開ける許しを請うてから、ゆるゆると障子戸を引き開けて、廊下に正坐した姿で中に居る威治教士にお辞儀するのでありました。威治教士は顔を上げた万太郎を高飛車な目で見て、一つ頷いただけで何も言葉を発しないのでありました。
 すぐにあゆみを従えた是路総士がこちらに歩いて来る姿が廊下の先に見えるのでありました。万太郎は廊下先に体の向きを変えて後ろに膝行で躄って、是路総士が座敷に入る道を開けてから、両手を床についた儘の姿勢で是路総士を迎えるのでありました。
 障子戸陰で一旦立ち止まった是路総士は万太郎に立礼するのでありました。万太郎も「押忍」とやや低い声で云ってから頭を前に倒すのでありました。
「おおこれは、威治君」
 是路総士は中の威治教士に気さくそうに片手を上げて見せながら、座敷に足を踏み入れるのでありました。あゆみの方は廊下に座って、持っていた湯気立つ茶碗の載った盆を傍らに置いて、威治教士に静々と座礼するのでありました。
「いらっしゃいませ」
 あゆみのその形通りの挨拶を横で聞く万太郎は、あゆみの云い様には中の威治教士には気づかれない程度ではあるものの、明らかに冷えがあるのを感じ取るのでありました。しかしあゆみの姿を見た一方の威治教士は、先程万太郎に見せた無愛想極まりない仏頂面を一変させて、現金にも満面に喜色を湛えてあゆみに視線を送るのでありました。
「ああどうも、あゆみさん」
(続)
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