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お前の番だ! 214 [お前の番だ! 8 創作]

 あゆみは苛々しているような口調で繰り返すのでありました。
「そんな筈はないんだけどなあ」
 万太郎は片頬の笑いを濃くするのでありました。
「おい、折野、折野万太郎」
 あゆみが急に語調を厳粛に改めるのでありました。
「押忍」
 万太郎はそのあゆみの語気に圧されて、しかも、折野、でもなく、万ちゃん、でもなく名前を初めてフルで呼ばれて、道場ではなく娑婆に在るにも関わらず、姉弟子の不興を買った様子に戦いて、畏まってそう返事をして仕舞うのでありました。
「ひょっとしてお前、そうやってあたしをからかって面白がっているんじゃないのか?」
「押忍、そんな事は決して」
 万太郎の片頬の笑いが台風の前の枯葉のように消し飛ぶのでありました。
「そんな話は、もう好い加減、そのくらいにしておけよ」
「押忍。申しわけありませんでした」
 万太郎は眉間に皺を寄せて、これ以上ない恐縮の態で深くお辞儀するのでありました。
「判ればよろしい」
 あゆみは少し語気を和らげるのでありました。「じゃあ、万ちゃんが素直に反省したところで、そろそろここを出て食事に行こうか?」
 あゆみの語勢はこの言葉を云い終る頃には前の穏やかさに戻っているのでありました。万太郎はそれでようやく眉間の皺を伸ばすのでありました。
「押忍。じゃなかった、はい」
「新宿にロールキャベツの美味しいお店があるの」
 あゆみがテーブルの脇に置いてある支払伝票を取りながら云うのでありました。
「あ、アカシアと云う店でしょう?」
「万ちゃんも知っているの?」
「ええ、学生時代に友達に連れて行かれた事があります。そこで食事をするのですか?」
「どお、そこで良い?」
 あゆみは万太郎の顔を覗きこむのでありました。
「はい。何処なりともお供させていただきます」
「じゃあ決まりね」
 喫茶店の支払いは姉弟子たるあゆみがしてくれるのでありましたが、この分だと食事の方も支払いはあゆみが担当してくれそうであります。二人は喫茶店を出るともうすっかり暮れたお茶の水の街を、駅の改札に向かって並んで歩くのでありました。

 年が改まるとさすがの良平の顔も寂し気であるように見えるのでありました。この四年間の内弟子生活を三月で切り上げるに当たって、それは矢張り、何をしていても様々な苦楽の思い出が良平の頭の中に去来するのはしごく当然の事でありましょうか。
(続)
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