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お前の番だ! 107 [お前の番だ! 4 創作]

 しかし是路総士や鳥枝範士、それに寄敷範士の苛烈な投げ技や抑え技の受けを始終取る内に、万太郎の受け身もそこそこ恰好がついてくるのでありました。一旦コツを掴むと気持ちに余裕が生まれて、どんなに崩した投げにも即応出来るような受け身をすんなり取れるようになるのは、万太郎には自分の事ながら嬉しい意外でありました。
 受けの技量が上がると、仕手側も思う存分の技をかける事が出来ると云うものであります。と云う事はつまり、受けを取る事に依って自分が投げられた、或いは抑えられた技の理屈も充分深く理解出来るようになると云う事であります。
 これは自分の技を磨く、と云う点に於いても大いに有益なのでありました。また、受けを取る事でその技を施した仕手の技量も自ずと判って仕舞うと云うものであります。
 一般稽古と専門稽古の別に依らず、様々な門下生達の受けを取る事で、その人の技量は云うまでもなく稽古に臨む姿勢も武道観も感得されるのでありました。それに引いてはその人固有の気質も、諸事に対する胆の在り様のようなものも、場合に依ってはその日の気分の置き処なんぞも、万太郎は感じ取る事が出来るような気がするのでありました。
 こう云った稽古の持つ構造を理解すると、万太郎は稽古が無性に面白くなるのでありました。それは意欲的と云う言葉も軽々しい程、云ってみればのめりこむとか耽溺すると云った表現がピッタリなくらいの形相に、万太郎の顔を妖しく隈取るのでありました。
「この頃万ちゃんは稽古が始まると、顔色が変わるわね」
 この万太郎の変貌ぶりを最初に万太郎本人に指摘したのはあゆみでありました。「何かに取り憑かれているみたいな、鬼気迫るものがあるって感じ」
 あゆみは夕餉の後片づけで横に立って水仕事を手伝う万太郎に云うのでありました。
「そうですか?」
「お父さんも、この頃折野は人変わりした、なんて云ってたわ」
「そうですかねえ?」
「うん。でもそれは悪い意味で云っているのではないみたい」
「稽古が、この頃面白くて仕方ないのですよ」
 万太郎は至極正直な、それにそれ以上には気持ちの機微を表しようとしない、有りふれた言葉で返すのでありました。
「なんか近寄り難いところがあるけど、それは道場での稽古の時だけで、普段こうして話している時は内弟子として入門してきた頃の儘だけどさ」
 良平も万太郎の、人変わり、は感じているようで、あゆみのように言葉で指摘はしないものの、何となく普段の接し方が少し狎れ々々しくなくなってくるのでありました。しかし別に敬遠していると云うのでは全くないようで、それは要するに稽古に取り組む姿勢に於いて、兜を脱いだが故の遠慮の気持ちが先に立つと云った風でありましょうか。
 この頃は二か月兄弟子の良平の方が、どちらかと云うと稽古では万太郎に遜っているようなところがあって、呼び方も前は、万太郎、と名前を呼び捨てにしていたのが、万さん、とこの頃は敬称つきになっているのでありました。始めは冗談のような感じで敬称つきで偶に呼んでいたのが、その内にそれが通常の呼称となったような具合でありましたか。
(続)
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