So-net無料ブログ作成

お前の番だ! 100 [お前の番だ! 4 創作]

「稽古には香乃子ちゃんは来ていたのですか?」
「ああ、香乃子ちゃんね。勿論来ていたぞ」
 この、香乃子ちゃん、と云うのは、名前を川井香乃子と云って、渋谷にある短大をその年に卒業して鳥枝建設に就職してきた新入社員でありますが、入社してすぐに上司に誘われて鳥越建設の常勝流武道愛好会に入会したのでありました。万太郎は嘱託社員と云う立場ではありますが、まあ、云ってみれば彼女とは同期入社と云う事になりますか。
 小柄でなかなか可愛らしい女性で、笑うと大きな笑窪がそのふっくらとした頬に浮くのが目立つ特徴でありましょうか。どうやら良平はこの香乃子ちゃんを初めて見た時から、寿司政の上にぎり以上の興味を抱いたようだと万太郎は睨んでいるのでありました。
「香乃子ちゃんは初心者ですから、先輩があれこれと手取り足取り教えないのですか?」
「まあ、受け身の取り方とか多少教えない事もないな。俺等は技に関しては未熟で到底指導出来る域ではないけど、鳥枝先生やらあゆみさんやらに何時も容赦なくボロボロにやられている側だから、事、受け身に関してはそれなりの自信はあるからな」
「香乃子ちゃんに熱心に教えている先輩のニヤついた顔が目に浮かびます」
「別にニヤついたりはしない。しかし香乃子ちゃんの笑い顔は実にキュートではある」
 電気を消しているので確とは判らないのでありますが、そう云う布団の中の良平の顔は屹度ニヤついているだろうと万太郎は想像するのでありました。
「ああそうですか、実にキュートですか。・・・」
「うん、キュートだ。お前もそう思わんか?」
 万太郎の返事はないのでありました。そこまでで彼は竟に寝落ちたのでありました。

 寄敷保佐彦範士は鳥枝桐蔵範士より一歳年下で、大学生の時に常勝流の内弟子となった人なのでありました。若い頃からこの二人は仲が良くて、稽古以外でもしょっちゅう一緒に連んで遊んでいたと云う事でありました。
 この二人の兄弟子と云う立場で興堂範士がいて、時には三人で朝まで道場で飲み明かしたと云う話しを、万太郎は前に鳥枝範士から聞いた事があるのでありました。その輪の中に時折是路総士が混じる事もあったようであります。
 酒豪と云う点では意外にも鳥枝範士ではなく寄敷範士が断然トップのようで、恐らく今でもそうでありましょうが、無表情に身じろぎも忘れて黙々と杯を重ねると云ったタイプだと云う事であります。鳥枝範士は勢いで飲むタイプで、取りかかりからガンガン呷って、一定量を体に納めると後は大鼾で大の字になって寝て仕舞い、雨が降ろうが風が吹こうが雷鳴が轟こうが、一切お構いなしに頑固一徹に目を開かないのだそうであります。
 興堂範士は何時も賑やかな酒で、印象としては大笑いしながら、誰彼構わず間断なく喋りかけ、その肩を何度も叩いていると云った風だったそうであります。それに飲むと悪戯小僧に変貌し、寝ている鳥枝範士の顔に墨で落書きをしたり、鼻の上で胡椒を撒いて鳥枝範士が嚏をしようとしたら鼻を摘むのだそうでありますが、あれで俺は何遍興堂範士に殺されかけたかと、鳥枝範士は結構真顔で万太郎に語って聞かせるのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0