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お前の番だ! 98 [お前の番だ! 4 創作]

 万太郎はその辺の機微を上手く説明出来そうにないと、喋っている途中で既に思って仕舞うのでありました。依ってあゆみは万太郎のこの威治教士の心理分析に対して、捗々しい反応を全く示さないのでありましたが、これはあゆみが鈍感と云うのではなくて、偏に万太郎の言葉のものし方が拙劣であるが故でありましょう。
「ああ、良い風呂だった」
 顔を上気させた是路総士が居間に入ってくるのでありました。廊下で障子を開けた良平が是路総士の着座を見届けてから廊下に正坐した儘一礼するのでありました。
「障子は開けといてくれ」
「押忍。判りました」
 良平は是路総士の指示に一礼して立ち、台所兼食堂の方に入ってくるのでありました。
「ではこれで下がらせていただきます」
 万太郎が起立のままで今の是路総士に一礼するのでありました。
「はい、ご苦労さん。面能美ももう下がって構わんぞ」
「押忍。ではそうさせていただきます」
 良平も立礼するのでありました。万太郎と良平はあゆみにも律義なお辞儀をしてから内弟子部屋に引き上げるのでありました。
「どうだった、神保町の道場では息子先生に虐められなかったか?」
 部屋に帰ってから稽古着を着た儘で良平は部屋の真ん中に腰を下ろすのでありました。
「いや、特には」
 万太郎の方は、隅に置いてある小ぶりのテーブルの横に行って座るのでありました。
「ああそうかい。それは良かったな」
「今日は、稽古以外で威治教士とは殆ど接触する機会がありませんでしたからね」
「総士先生と興堂先生が食事している間に、ちょっかいを仕かけられなかったのか?」
 稽古着の胸をはだけながら良平が訊くのでありました。
「ええ。どうした風の吹き回しか興堂先生が僕や向こうの内弟子の人達を、勿論威治教士も一緒ですが、控えの間の方に入れてくれて、皆で食卓を囲んだんですよ」
「へえ。そんな事、俺は今まで経験した事がないな」
「だから結局僕は殆ど、総士先生と興堂先生から離れる時間がなかったのです」
 良平は暫く口を尖らせて黙っていたのでありましたが、すぐに尖らせていた口を元に戻すと改めて万太郎の顔を見るのでありました。口を尖らす前とは表情の色あいが微妙に変わっているところを見ると、これは良平の関心の向きが今日の威治教士の万太郎に対する仕打ちから離れて、何か別の対象へとあっさり移ったためのようでありました。
「出て来た食事はにぎり寿司か?」
「ええ。興堂先生が、相も変わらず寿司政のにぎりだとかおっしゃっておられました」
「と云う事はつまり、ひょっとしたらお前も寿司政の上にぎりを食ったのか?」
 良平は上目で万太郎を見るのでありました。
「五人前で寿司桶二つでしたから、皆一緒のものを食ったのでしょうね」
(続)
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