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お前の番だ! 78 [お前の番だ! 3 創作]

 朝稽古は十時から始まるのでありました。日曜日と云う事もあって道場には二十人程の門下生が参集しているのでありました。
 朝稽古の中心指導は是路総士が担当するのでありました。是路総士は昨日見学した時と同じように、良平が開けた引き戸から入場する時に敷居に躓くのでありました。
 実際、この日以降も是路総士は入場の際に何故かよく敷居に躓くのでありました。万太郎は入門して最初の内は、指導者は道場に入ったら先ず軽く躓いて見せるのが常勝流の作法か、とも半ば本気で考えたのでありました。
 しかし鳥枝範士も、もう一人の総本部付範士である寄敷保佐彦範士にしても、そんな事はしないのでありましたから、これは作法とは無関係な是路総士に特有な現象のようであります。常に沈着で、あらゆる所作に隙と無駄のない是路総士は、どうして道場入場の際だけ何時もこんなおっちょこちょいをやらかすのでありましょうや。
 万太郎は再びあゆみに基本を指導して貰うのでありましたが、その日は新米の内弟子として臨む稽古でありますから、あゆみは昨日のように親和的な態度は露程も見せないのでありました。口調も気色も厳しく、万太郎の動きにも厳格さを要求するのでありました。
 そう云えば早めに道場に入っていた万太郎はあゆみが現れると、礼儀から握り飯の礼を云うのでありました。あゆみは無愛想に頷くのみで、その頷き方も不謹慎にも道場の中に道場外の事を持ちこむな、とでも云いたげな不機嫌そうなものなのでありました。
「ほらもっと腰を入れて」
 あゆみは万太郎の構え姿を検分しながら叱咤するのでありました。「だからと云って前に出した腕や前脚の膝を固くしないように。力が滞るから」
「押忍」
「ほら未だ無駄な力が入っている」
 あゆみは構えた万太郎の、前に伸ばした腕を手刀で打つのでありました。前腕部に受けたその手刀は重く鋭く、万太郎は軽い痺れを感じて思わず手を下げるのでありました。
 この一見華奢そうに見えるあゆみのどこに、手刀に乗せるこんな威力が隠されているのでありましょう。これがつまり常勝流と云う武道の恐ろしさの一面でありましょうや。
「動くな! 一旦構えたら外からどんな力が働いても構えを崩すな」
「押忍」
 万太郎の額に汗が噴き出すのでありました。
 是路総士が稽古している門下生の間を回りながら、万太郎の傍にも来る折があるのでありました。あゆみに動きの逐一にあれこれと遠慮なしの注意と注文を頂戴しながら真剣な面持ちで奮闘する万太郎を見て、是路総士は頬に笑いを浮かべて見せるのでありました。
 これは冷やかしの笑いとか憫笑とかではなくて、激励のサインであるのは万太郎にも判るのでありました。しかしあゆみから次々に出される注意と注文が多過ぎて、万太郎には是路総士の激励に応えるための表情を作る余裕等ないのでありました。
 ところで是路総士が折節に下座の門下生に見せる見本の技は、鳥枝範士のものとは趣が違って流麗なものでありました。万太郎はその美しさに見惚れるのでありました。
(続)
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