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お前の番だ! 58 [お前の番だ! 2 創作]

 それでは何故に板場は万太郎にあのような事を訊いたのでありましょうか。外には表わさないながら、威治教士に対する陰れた忠義立てと云うつもりなのでありましょうや。
 万太郎は下座隅に座るのでありました。持って来た二本の木刀を木刀入れから出して、自分の右脇に並べて横たえ、木刀入れは小さく折りたたんで懐に入れるのでありました。
 稽古開始五分前になると、板場が道場中に聞こえるような声で、全員下座に整列正坐するようにと呼ばわるのでありました。皆が整列した最後に、如何にも大儀そうに威治教士とその取り巻き達が着座するのでありました。
 威治教士は列から一間程前に座るのでありましたが、これは一堂に号令をかける役目のためでありました。道場に入ってからこの間、万太郎は幸いにして何も威治教士からちょっかいを出される事はないのでありました。
 板場は道場入口の引き戸に手をかけ、廊下の足音に耳を澄ましているのでありました。是路総士と興堂範士の廊下を歩いて来る足音がしたら、丁度良いタイミングで引き戸を開けるためでありますが、この風習は調布の常勝流総本部道場と同じなのでありました。
 万太郎は総本部道場の場合と同じでこの間の緊張感が苦手なのでありましたが、何故この待機の時間だけが自分をたじろがせるのか未だに判らないのでありました。万太郎は引き戸に手を添えている板場よりも自分の方が、廊下から聞こえてくる筈の気配を捉えようと全身を耳にしている事に、何となく秘かに気恥ずかしさを覚えるのでありました。
 板場が引き戸を開けると先ず是路総士、それから続いて興堂範士が道場に現れるのでありました。その後から一人控えの間の方に残っていた興堂派の門弟が、目立たぬようにスルリと身を道場に入れて列の端に素早く正坐するのでありました。
 是路総士が見所の上の神棚正面に座り、興堂範士は下座の列最奥で皆より一間前に座る威治教士の、そのまた一間前に着座するのでありました。
「神前に、礼!」
 威治教士の声が道場に響くのでありました。正面神棚への礼が済むと、総本部道場の時と同じに是路総士は徐に膝行でやや正面から横に外れる位置に移動し、下座の門下生の方に体を向けて威儀を正すのでありました。
「総士先生に、礼!」
 威治教士が発声すると下座の一同が「押忍」の声と同時に頭を下げるのでありました。是路総士がこの座礼の後、体を興堂範士の方に向けて静かに礼をするのは、この道場の主催者である興堂範士に対して礼容を示すためでありました。
「押忍。本日の剣術稽古、よろしくお願いいたします」
 興堂範士がそう云いながら是路総士に硬い座礼を返すのでありました。
「全員木刀を取って二列横隊に整列!」
 威治教士が首を門下生の方に向けて指示を出すのでありました。その声に門下生達は素早く反応して「押忍!」の発声と伴にきびきびとした動作で畳を蹴るように立ち上がると、道場横手の木刀かけに殺到して、先程板場が揃えていた木刀を各々取って駆け足で道場一杯に二列横隊に広がるのでありました。
(続)
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