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お前の番だ! 51 [お前の番だ! 2 創作]

 そう続けられると万太郎は少々困じるのでありましたが、しかしあの若造先生、いや威治教士と昵懇になるのはどうぞご勘弁をとは云えないので「押忍」とだけ返事して深々とお辞儀するしかないのでありました。この万太郎の「押忍」までの一瞬の尻ごみも、ひょっとしたら興堂範士にはちゃんと知られて仕舞ったであろうとも思うのでありました。
「それじゃあ、あにさん、そろそろお支度を」
 興堂範士が是路総士に着替えを促すのでありました。
「はいはい、それでは」
 是路総士は座卓に両手をついて立ち上がるのでありました。
 是路総士の着替えは万太郎一人が介添えするのでありました。その間、廊下に一人の門弟を残して興堂範士は別室に退くのでありました。
「折野、すぐに他人に知られるような顔色の変化はいかんなあ」
 是路総士が横に片膝で控えて黒帯を渡す万太郎に云うのでありました。その言葉は万太郎の先程の威治教士の無礼に対する気色の変化を指しているのは明白であります。
「押忍、以後、気をつけます」
 万太郎は素直に頭を下げるのでありました。
「武術家は曖昧な無表情が常だ。顔色の変化を読まれたらそこで負けだ」
 是路総士は帯を稽古着に巻きながら云うのでありました。「目の気配すら相手に悟られてはならん。武道家はどんな場合にも半眼にしておるのが良い。特にお前の目は少し大きめに出来ておるから気をつけた方がよかろうよ」
「押忍。そのように努めます」
 成程、是路総士の何時も変わらぬ柔和な顔は、半眼にした目を不自然に見せないための方便と思えなくもないのであります。興堂範士の顔にしても、表情としては是路総士よりは余程大袈裟な動きをするものの、確かに目の開き具合に関しては細めた儘であります。
 ところがこれが鳥枝範士となると事情が少し違っていて、その目は大きく見開かれたり目尻に深い皺の出来るほど細められたりと、半眼とは程遠い目つきで、感情の赴くところを返って相手に明瞭に示そうとしているようであります。しかしこれも目が正直に鳥枝範士の心底を表していると云うのではなくて、矢張りそれを隠すための逆説的な、言葉は悪いのでありますが、詐術、として態とそんな風に目を造っているのかも知れません。
「おい、折野、袴」
 手の止まった万太郎の旋毛に是路総士の催促声が降りかかるのでありました。
「ああ、押忍。済みません」
 万太郎は袴の前を是路総士の腹に当てて紐を後ろに回すのでありました。それを交差させて前に回し、またそれを二重回しにして丹田下で片結びするのでありましたが、万太郎が両紐をきつく腰の辺りで絞っても、是路総士の体は殆ど動揺しないのでありました。
 常勝流は剣術よりも体術が主であるために、袴の紐の結び目は後ろに作らないのでありました。後ろにあると受け身に支障があるためであります。
「この程度の巻きの強さでよろしいでしょうか?」
(続)
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