So-net無料ブログ作成

お前の番だ! 29 [お前の番だ! 1 創作]

「押忍。では早速」
 良平はそそくさと立ち上がって小走りに道場を出ていくのでありました。
「さて、稽古が終わったら是路総士先生に内弟子に入る挨拶をしたり、内弟子に入るに当たっての決まり事とか諸注意とか何時から道場に寝泊まりするかとか、諸々打ちあわせねばならん事があるから、すぐに帰って仕舞わないように」
 鳥枝範士の中ではもうすっかり、こちらが諾とも何とも意思表示もしていないと云うのに、万太郎が内弟子として常勝流に入門するのは既定の事となっているようであります。万太郎は内心大いに困じ且つ大いにたじろぐのでありましたが、どうしたわけかきっぱり、否とか暫し待ってくれとかの言葉を口に出せないでいるのでありました。
 それは常勝流に内弟子に入ると云うのも、この就職難の折、職業選択としてあながち悪い選択でもないかも知れないと云う思いが、脳みその端っこでちらちらと明滅しているからでありました。就職浪人してまで入りたい会社とかやりたい仕事があるわけでもなく、それに学校に残る気なんぞは更々なく、将来の健全堅実なる人生設計図とか人生工程表もなく、かと云って当面何もしないでフラフラ遊んで暮らせる程の蓄えも覚悟もないのでありますから、これは考え様に依っては渡りに船とも云えるのではないでありましょうか。
 しかし武道の内弟子でありますから、心身ともになかなかにハードな毎日が待っているのでありましょう。普通に就職する、とか云った了見では到底勤まらない筈であります。
 しかししかし、毎日の三度のおまんまと寝床に関しては保障されているのであります。前に鳥枝範士から聞いたところに依れば小遣いも貰えるようでありますし。
 まあ、到底務まらないとなったらとんずらすれば良いかと云うくらいの魂胆でいれば、多少は気楽な内弟子稼業になるでありましょうか。しかししかししかし、それでは自分を見こんでくれた鳥枝範士に対しても、自尊心に対しても面目ない話でありますが。・・・
 万太郎がそんな事をつらつら且つうだうだ考えていると、良平がビニール袋に入った真新しい稽古着を持って道場に戻って来るのでありました。
「押忍。持って参りました。四号のサイズで大丈夫でしょう」
 良平は再び鳥枝範士の後ろに正坐してから、持って来た稽古着を鳥枝範士の横に恭しく押し遣るのでありました。鳥枝範士の横の白い道着を包んでいるビニール袋が、天井の照明を反射してきらりと曜くのでありましたが、これをこれからここで送るかも知れない内弟子生活の、吉兆とみれば見えなくもないかと万太郎はふと考えるのでありました。
「さあ、この稽古着をタダでくれて遣るからさっさと着替えて来い」
 鳥枝範士が横のビニール入りの稽古着を、万太郎の前にぞんざいな手つきで更に押し遣るのでありました。「もうすぐしたら他の門下生共も来るから、急いで着替えるんだぞ」
「何処で着替えればよろしいのでしょうか?」
 万太郎が弾みから、稽古着を両手で持ち上げながら訊くのでありましたが、渡された稽古着をこうして手にした以上、自分は内弟子に入るのを承諾した事になるのかなと思うのでありました。ま、それもいいかと万太郎は即座にあっさり意を決するのでありました。
「おい面能美、案内してやれ」
(続)
nice!(11)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0