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お前の番だ! 11 [お前の番だ! 1 創作]

 是路総士が退場すると、門下生達は鳥枝範士の周りを取り囲んで各々「有難うございました」の声を添えながら座礼をするのでありました。それが済むとその日相手をした者同士で礼をしてから、少し居残ってその日の課題技の復習をする者あり、早々に更衣のために道場を出ていく者あり、稽古後に何処かで一杯やろうと汗を拭きながら示しあわせる者ありと、稽古の緊張が一気に緩むのは何時も通りの稽古後の風景なのでありました。
 しかしあゆみと内弟子二人には気を抜く暇はないのでありました。あゆみが万太郎と良平に礼をしてから急いで道場を後にするのは、是路総士の着替えを手伝うためであります。
あゆみは奥の控えの間で是路総士の脱ぎ捨てた稽古着と袴を綺麗にたたみ、その後に茶を献じ、それから是路総士と鳥枝範士の夕餉の給仕をしなければならないのでありました。
 万太郎と良平は居残っている門下生の相手を暫くの間してから、その門下生達が去ると道場を二人で隅々まで掃除するのであります。七十畳余の道場と三畳の見所を先ず掃いてから、敷きつめられている青畳を水拭きするのでありますがこれがなかなか手間であるのは、後で鳥枝範士が見回って塵の一つでもあればやり直しを命じられるからでありました。
 もう一人の範士である寄敷範士は掃除後の見回りに少しの手心を示してくれて、道場の端に塵や埃を見つけてもそれを掃うだけで許してくれるのでありましたが、鳥枝範士は容赦がないのでありました。鳥枝範士は二人を睨みつけて「行き届かんのはお前等の誠が足らんからだ。全く近頃の内弟子は掃除の仕方一つもよう知らんのだから情けない」等と有難い怒声を浴びせかけ、もう一度総ての掃除の手順を繰り返させるのでありました。
 鳥枝範士は掃除のやり直しが終わるまで二人の掃除ぶりを腕組みして監視しているのでありました。やり直しを命じた後、早々に帰って仕舞わないところは鳥枝範士の、ある意味での義理堅さと強いて云えば云えなくもないでありましょうか。
 鳥枝範士は鳥枝建設の会長さんでありますから、帰宅はお迎えの車が道場まで来るのでありました。万太郎と良平はその車が二人に排気ガスを吹きかけながら去って行くのを、道を曲がって車の影が見えなくなるまで外で立礼で見送った後に、二人で顔を見あわせて安堵のため息を同時につくのが日課なのでありましたが、しかし気を抜く暇もあらばこそ、この後も二人にはあゆみと三人の一時間の内弟子稽古が待っているのでありました。

 万太郎は就職のための会社訪問用に大学の生協で買ったスーツに身を包んで、約束通り次の日の午前十時少し前に鳥枝建設の玄関前に立っているのでありました。
 受付の若い女性に名前を告げると、その女性は内線電話で万太郎の来社を人事部に取り次ぐのでありました。少し待つと済陽人事部長が自ら万太郎を出迎えるのでありました。
「急な電話でお呼び出ししまして申しわけありません」
 済陽人事部長は丁寧に頭を下げるのでありました。
「いえとんでもありません。お陰様をもちまして今日は怠惰な朝寝を免れました」
 済陽人事部長のその予想外の低姿勢に万太郎はたじろいで、疎かな挨拶返しの言葉を吐きながら、済陽人事部長より低姿勢である事を示さんがために彼の人の一度のお辞儀に二度の低頭で応えるのでありましたが、この彼の謙譲が先方に如何程通じたかどうか。
(続)
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