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合気道の脅威のパワー(?) 2 [合気道の事など 2 雑文]

 四ヶ条或いは四教と云う技にしても前腕の脈部に力を加えられた場合、その作用に依って肘が上方に突き上げられ、それが当然骨格の連動として上腕骨を通じて自分の肩甲骨を上に吊り上げると云う運動を引き起こし、それが肋骨を挙上させ、その肋骨の挙上が胸椎腰椎を通じて仙骨を浮かせ、依って結果として重心点を浮揚させる事になるのであります。
 要するにこちらは始めから相手の重心点たる腰に、直接的に狙いをつけているのではないのであります。あくまでも四ヶ条或いは四教と云う技に於いては、直接の狙いは相手との接触点である前腕の脈部にあるのであり、注意点として精々、肘と肩の緩みが除去されているか、と云う範囲より遠くには必要以上に意を用いる事はないと云う事であります。
 前述の二ヶ条に於いても直接作用部位である手関節を効果的に攻撃すれば、まあ、あくまで効果的に攻撃すればでありますが、相手の骨格構造を通じて、自ずとこちらの力は相手の崩すべき腰に間接的に影響すると云うわけであります。言葉を変えるなら、一点に力を受けた相手が、自分の人体である事の避け難さに依って自分で自分の腰を崩しているのであります。考え方としても様々な経由部位や経由関節の遥か先にある腰を直接目指すよりは、稽古上簡素な考え方となるでありましょうし、修錬もし易くなるでありましょう。
 よく感想として「二ヶ条を極められたら一気に腰から力が抜けて膝がストンと落ちた」とか「掴まれた瞬間全身が痺れたように動かなくなった」と云う表現が、一種の合気道の技の驚異性や神秘性、或いは他武道に対する圧倒的優位性を強調するために大袈裟に喧伝されたりするのでありますが、先にも云ったようにこれは現象面でそのような事が起こる可能性は敢えて否定しません。しかしこれも何度も云うように、多関節の柔らかい構造体である人体に、そのような物理力はそうそう簡単に及ぼせるものではないでありましょう。
 まあこれも敢えて解釈すれば、物理的構造物としての身体にそのような技を施していると云うよりは、もっと別の心理面でのある種の作用が必要以上に働いているからこそ、そう云った驚嘆に値する技が現出する事があるとは思うのであります。それは「恐怖心」であるとか「混乱」であるとか、或いは「畏怖」であるとか「遠慮」であるとか、序に、シニカルな云い方を繰り返しますが、仕手と受けの暗黙の了解とか阿吽の呼吸とか、麗しき師弟愛とか云う要素も含まれるのでありましょう。また自分が修錬している合気道と云う武道に、そうあって欲しいと願う「贔屓目」の発露と云う心性も考えられるのであります。
 確かに心理的側面は「勝負」の重要な要素ではあります。ですから武道家が仏教の禅に近づいたり、道教的無為の境地を求めたりするのであります。しかし禅的な悟りを開いたり、無為の境地を我がものとしたとしても、それが「勝負」に勝てる直接的絶対的根拠にはならないでありましょう。寧ろ「勝負」と云う世界とは違う地平に向かう事になりそうであります。まあ、若しそんな悟りや境地が「勝負」に必勝する事を保証するのならば、武道家は武技の修錬からきっぱり足を洗って、今すぐ滝に打たれに行くべきであります。
 少し話が脱線しましたが、要は我々は多関節で柔らかい構造体であり、それを筋力で統御している、そのような人間の身体を先ず以って武道的な相手としているのであります。精緻である人体を、思うが儘に操れると云う幻想を先ずは捨てるべきでありましょう。それを捨てたところから、我々の武道的な修練や試行錯誤や工夫が始まるのでありますから。
(了)
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