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もうじやのたわむれ 316 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 拙生はふとそんな疑問が浮かぶのでありました。
「それは場合に依るみたいですよ」
 逸茂厳記氏がオレンジジュースを一口、ストローで吸ってから云うのでありました。「娑婆に残してきた肉体がかなりの破損を受けていたり、或いはもう既に焼却されている場合は、それとは違う肉体を探さなければならないからちょっと厄介らしいのですが、前の肉体が未だ充分生き返りに耐え得るようなら、その同じ肉体に逆戻る事になるようです」
「夫々の場合に依るのですか?」
「準娑婆省の連中が亡者様を娑婆へ帰還させる手練手管について、私は詳細には知らないのですが、この前の出張の折の前例の亡者様の場合、同じ肉体に帰還させる事が出来そうなのでこれは楽だ、なんと云う準娑婆省の鬼同士の会話を傍で漏れ聞きましたからねえ」
「ふうん、そうですか」
 昨日の夜、拙生の頭の中に突然現れたカカアの話しに依ると、その時点では、娑婆では拙生の葬儀の最中であると云う事でありましたから、未だ荼毘にふされてはいないと云う事になりますか。と云う事は、ひょっとしたら向うに残してきた肉体は、今の内なら使用に耐える状態であるかも知れないと、拙生はコーヒーを飲みながら考えるのでありました。
 しかしこれから二時間余をかけて準娑婆省まで行って、その後に逆戻りのための諸手続きを済まして、それからいよいよ、となると、こちらの世と向うの世の流れる時間差を考慮しても、拙生の肉体はもう、こんがり狐色になっていると云う事も考えられますか。微妙なタイミング、と云ったところでしょうか。前の肉体にその儘あっさり戻る方が、戻った後も何かと気楽な感じでありますから、出来得る事ならそう願いたいものであります。
 しかし違う肉体に逆戻って、前とは全く異なる生を生きる、なんと云うのもちょっと魅力的ではありますか。『人生が二度あれば』なんと云う井上陽水さんの歌が娑婆にありましたが、そうなると拙生は向うで本当に二度の人生を経験出来るわけであります。
 しかし未だ就学年齢頃の肉体に逆戻ったりすると、またもや日々の勉強やら受験やら、中間テストやら期末テストやら、宿題やら補習授業やら、眠気と登校時間の鬩ぎあいなんかに苦しめられる事になりますから、それをもう一度娑婆で繰り返すのは勘弁願いたいものであります。出来れば二十代前半の、丁度大学四年生辺りの、しかも就職も既にちゃんと決まっていると云ったような、適当な頃合いの肉体が見つかればそれはそれで大いに結構なのでありますが。それに、お爺さんに逆戻るのも、ちょっと勘弁して貰いたいものであります。折角逆戻るのと云うのに、老い先短いと云うのもがっかりでありますから。
「どうかなさいました?」
 拙生が呆けた顔で黙りこんで、こんな呑気で浅ましい事を暫し考えていたものでありますから、逸茂厳記氏が心配になったのかそう訊くのでありました。
「いや別に何も」
 拙生は慌てて笑い顔をして見せるのでありました。
「これから自分はどうなって仕舞うのかと、急に不安になられたのでしょうか?」
 まあ、不安かどうかは別として、ある意味、それは当たっているのでありましたが。
(続)
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