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もうじやのたわむれ 219 [もうじやのたわむれ 8 創作]

 オルガンは客席の緊張がギリギリまで高まった静寂の後に、バッハのトッカータとフーガニ短調を奏で始めるのでありました。拙生が娑婆で、カカアからかかってきた携帯電話の呼び出し音に設定していた曲であります。いやまあ、そんな事はどうでも良いですが。
 矢張り落語と同じで、向こうの世で音楽家であった連中がこちらに来ても音楽家になった場合、向こうで自分が作曲した曲と同じ曲が、こちらでも再現されて当然でありましょうか。ですからこれは屹度、バッハの生まれ変わりが作曲したのかも知れません。
 元々娑婆で自分の曲だったものをこちらで再発表するのでありますから、これは当然ながら娑婆とは違う世界の事でありまして、別に盗作とか無断借用とか云う事は全くないのであります。云ってみればそれは、芸術の普遍性、とか云うべき事柄でありましょうか。
 バッハの生まれ変わりが、こちらの世で地獄省にいるのか極楽省にいるのかは不明ですが、兎に角、これは屹度娑婆でバッハと云う名前だった音楽家の、生まれ変わりが創った曲に違いありません。まあ、バッハの場合は極楽省を天国省と云うべきでありましょうが。
 テレビ画面の右上に出ているクレジットに、J・S・飛蝗作曲、としてあります。バッハ、が、飛蝗、となっているのは、コンシェルジュ辺りに訊いてみると屹度、お茶の水ならぬお茶のお湯にある、ニコライ堂ならぬ帰去来堂の場合と同じように、作曲家のご先祖様が中国系だった、なんと云う、妙に都合の良い説明がなされるのでありましょう。
 曲の途中で、何故か拙生は急に強烈な眠気に襲われるのでありました。これは勿論、トッカータとフーガニ短調と云う曲、或いはそれを演奏しているオルガン奏者の技量が、拙生を眠たくさせたのではないのであります。テレビから流れてくる演奏は、娑婆の第一級のオルガン奏者の演奏にも劣らない、極めて素晴らしいものなのであります。
 この拙生の眠気は屹度、億劫ガスか或いは億劫電磁波が相当に効いてきたためでありましょうか。この儘不覚にも吸いこまれるようにソファの上で眠って仕舞っては、昨日の二の舞であります。折角こんな良い部屋をあてがわれたのでありますから、どうせ寝るのなら備えつけのベッドの上で、ちゃんと寝る意識を持って寝たいものであります。
 そう思って拙生は、片手に持っていた飲みかけの缶ビールをグイと空けて、その空になった缶を傍らのテーブルの上に置いて、テレビも律義に消して立ち上がると、ベッドの方に移動するのでありました。その僅かの距離の移動中にも、拙生の瞼は今にも閉じて仕舞いそうでありました。なんと云う強烈な眠気なのでありましょうか。
 拙生はベッドにうつ伏せに倒れこむのでありました。ベッドのバネが、倒れこんだ拙生の頬を柔らかく、ほんの僅か跳ね上げる感触を感じたところまでは覚えているのでありました。しかしそこまでしか、拙生の記憶はないのでありました。
 拙生が次に目を開いた時には、カーテン越しに差す朝日に、部屋はもうすっかり明るくなっているのでありました。拙生はどうやら意識を失うように昨夜このベッドに倒れこんで、その儘すぐに身じろぎもせずに眠りこけていたようであります。
 倒れこんですぐ寝てしまったのでは、ちゃんと寝る意識を持って寝た、と云う事にはならないだろう、なんと考えながら拙生は身を起こすのでありました。しかしまあ、寝て仕舞ったものは仕方がないので、拙生は顔を洗うために洗面所に向かうのでありました。
(続)
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