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もうじやのたわむれ 209 [もうじやのたわむれ 7 創作]

「紅葉の頃は多くの人出があって、このケーブルカーに乗るのにも行列が出来る程です。特に『見知らむ』で三ツ星を獲得して以来、一入混雑するようになりましたね」
 逸茂厳記氏がケーブルカーの最後部の窓から、斜め下方にゆるゆると遠ざかっていく駅舎の屋根を見ながら云うのでありました。車内には一般の霊も乗りあわせていたのでありますが、その霊達には拙生が見えないものだから、逸茂厳記氏が窓に向かって、何やらブツブツと独り言を云っているように見えるのでありましょう。しかし昨日の喫茶店カトレアの時と同じで、車内の一般の霊達はそれを特段奇異な光景だとは思っていないようで、気味悪げな顔もせず遠巻きの警戒の目も向けず、全く無関心の儘と云う風でありました。
「ケーブルカーを使わずに歩いて登るとなると、結構大変な登山になるのでしょうか?」
 拙生は最後部の窓に寄りかかって、車内の方を見ながら訊くのでありました。
「いや、登山と云うよりはハイキングと云った感じですね。幾つかの山頂を目指すルートがありますが、何れも小学校低学年でも充分歩けるようなルートです。高尾山の海抜は約六百メートルと云いますから、そんなに凄い山と云うわけではありません。地面が少しばかり腫れている、とでも云った具合でしょうかね。まあ、これはレトリックですが」
 この逸茂厳記氏の譬えは、古今亭志ん朝師匠の『愛宕山』と云う落語で、幇間の一八が、これから登らんとする愛宕山を見上げながらものする減らず口と何故か同じでありました。
「高尾山自然研究路、なんと云う何本かの遊歩道があるのでしょうね?」
「おお、よくご存知で」
「それにお猿のいる動植物園があったりとか」
「ええ、それもあります。どうしてそんなに詳しくご存知なのでしょうか?」
「娑婆の高尾山にもありますからね。ほぼ同じような感じかなあと思いましてね」
「ふうん、そうですか」
 逸茂厳記氏は口を窄めて何度か頷くのでありました。
 ケーブルカーを降りて鬱蒼たる巨杉に挟まれた山道をうねうねと暫く歩くと、薬王院の長い石段に出くわすのでありました。その石段を登ると仁王門、それから本堂、その上に木造銅葺入母屋造りの飯繩権現堂、そのまた奥に不動堂があるのでありました。これも娑婆の八王子にある高尾山と全く同じであります。拙生は懐かしくなるのでありました。
 薬王院から道なりに更に歩くと、山頂の大見晴台に着くのでありました。売店で缶コーヒーを売っていたので逸茂厳記氏がそれを奮発してくれて、まあ、亡者の拙生は別に喉は渇いてはいないのでありましたが、兎に角その奢りのコーヒーで喉仏を湿らせながら、眼下に広がる眺望を堪能するのでありました。眺望は娑婆とは少し違うのでありました。
 東には対岸を見渡す事の出来ない広大な三途の河の流れ、西にはたたなずく青垣、南には閻魔庁のある邪馬台郡中心部の街並がまるで零した牛乳のように地を覆い、その中に一際高く畝火の白檮原タワーを認める事が出来るのでありました。北はこれも街が広がっていて、その彼方には周りの山々とは明らかに格の違う、一際高く、そして頂きに雪を纏った秀麗な姿の、如何にも霊峰と呼ぶに相応しい独立峰を見霽かすのでありました。それはひょっとしたら、富士山、と呼ばれる山なのかも知れないと拙生は考えるのでありました。
(続)
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