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大きな栗の木の下で 106 [大きな栗の木の下で 4 創作]

「そう。何時か聞きたいものだってずっと思っていたんだ」
「ふうん、そうなんだ」
 沙代子さんは御船さんが自分のネコの話にどうしてそんなに興味を持ったのか、全く判らないと云う顔をして見せるのでありました。
「だから今度、聞かせてくれよ」
「そりゃいいけど、そんなに面白い話しなんかじゃないわよ、そんなの。・・・」
 坂の上の方から、道を回ってバスが下ってくるのが見えるのでありました。バスは御船さんと沙代子さんが並んで待っているその前に止まるのでありました。圧縮した空気が抜けるような音をたててバスの扉が開くのでありました。
 沙代子さんが御船さんの方を見て目の表情でさようならを云ってから、くるりと御船さんに背を向けてバスのステップに足をかけるのでありました。入口のすぐ後ろの席に座った沙代子さんは、窓越しに御船さんに手をふるのでありました。その様子はあの高校生の時の思い出とまったく同じなのでありました。
 坂道をゆっくり下って行くバスの後部を、御船さんは何時までも見送っているのでありました。下の大きくくねった道を曲がって仕舞うと、沙代子さんを乗せたバスは御船さんの視界から消え去るのでありました。
 急に夕暮れの気配が濃くなるのでありました。高台の公園を見上げると、栗の古木が風に葉群れを泳がせているのでありました。海の方から差す斜陽に、栗の古木は微かに赤く染まっているのでありました。夕風に葉の騒ぐ音が、公園の下の道にいる御船さんの頭の上にまでさらさらと降り注ぐのでありました。

 御船さんはその後この公園で沙代子さんと逢うことはないのでありました。下の市営団地に沙代子さんのお祖母さんが住んでいると云うのだから、沙代子さんが偶にそこを訪れることはあるのでありましょうが、あの日以来、御船さんは沙代子さんの姿を見ることは全くないのでありました。単に時間があわないから逢えないのか、それとも他に理由があるのか御船さんには判らないのでありました。
 時間があわないと云うところで云えば、御船さんが前のように公園突端の栗の古木の蔭の中で、午後の長い時間を過ごすことがなくなったと云うのも、二人が出逢わない理由の一つになるのかも知れません。御船さんがそこにいる時間は前に比べれば極めて僅かになったのでありました。
 と云うのも、御船さんは家からこの公園まで上がって来ても、そこで歩を止めることなく、観光ホテルを通り越してもっと上の展望公園にまで、休むことなく上って行くようになったのでありました。最初は息切れが激しかったのでありましたが、次第に慣れてくると、御船さんの呼吸は然程に乱れることはなくなったのでありました。
 結構大丈夫なものだなと御船さんは思うのでありました。要するに本気でやろうとすればとうに出来たことを、了見違いと怠慢から、単にやらなかっただけのことのようであります。御船さんは少し、己の体力の回復具合に自信を持つようになるのでありました。
(続)
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