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大きな栗の木の下で 101 [大きな栗の木の下で 4 創作]

 補足として云うと、三年生になってからも、幸いにも御船さんは沙代子さんとまた同じクラスになったのでありました。だから沙代子さんの誕生日にショートケーキのキーホルダーを渡す時、態々と云う印象ではなくて事の序でみたいな気軽な感じで渡すことが出来たのでありました。まあその気軽な感じ自体が、御船さんにとっては歯痒いわけでもあったのでありましたが。
 それに親密度と云うのか、会話を交わす頻度も、御船さんの願いからは到底納得いくような水準ではないのでありましたが、三年生になって多少は増したのでありました。しかし結局、沙代子さんの飼っていたネコの話しの続きを聞く機会は遂に訪れる事はなかったのでありました。土曜日の放課後の教室で二人きりになることも、だから当然、その帰りに沙代子さんの乗るバス停まで御船さんが送って行くと云う愛想をする機会も、一度も訪れないのでもありました。
 しかしそれだからこそ、御船さんの中で沙代子さんの影が益々色濃くなっていったということはありましたか。相手に対する不足感とか焦れったさとか疎隔感とか、或る種の陰鬱さとか云うものが、碧玉をより凄烈に、場合に依ると実価以上に輝かしく磨き上げる絹布となると云う、恋愛の古来よりの定石が綺麗に当て嵌まったのでありました。
 これで若しもライバルでも居たとしたなら、それこそ見事なまでに御船さんは沙代子さんの像を、この世にない程の輝きを獲得するまで磨きに磨き上げたことでありましょう。しかしそうなっては、御船さんは沙代子さんと言葉を交わすことも出来なくなっていたかも知れません。

 海からの風が御船さんの思い出に満ちた頭部に吹きつけるのでありました。
「どうかした、御船君?」
 沙代子さんが聞くのでありました。
「ああ、いや別に」
 御船さんは沙代子さんの方を見ながら云うのでありました。
「なんか御船君、すっかり黙っちゃったからさ。ひょっとしたら体の具合でも悪くなったのかと思って、ちょっと心配になったのよ」
「ああ、ご免々々。そんなんじゃあないよ。ただちょっと、不意に思い出したことがあって、そのことを考えていたんだよ」
 御船さんは頭を掻くのでありました。
「ふうん、そう」
 沙代子さんはそう云って海の方に視線を投げるのでありました。夕方に近くなって凪いだ海が、水平線の辺りをきらめかせているのでありました。
 造船所のクレーンが、横に並ぶ建物の屋根に影を長く引いているのどでありました。街を貫く幹線道路には、造船所の建物の屋根に張りついたクレーンの影よりも長い車の列が、動いているのかいないのか判らないくらいの微妙な変化を見せながら、傾きかけた日差しを公園に向けて反射させているのでありました。
(続)
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