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大きな栗の木の下で 98 [大きな栗の木の下で 4 創作]

 ネコが一声鳴くのでありました。まるでそれが切っかけだったように道の向こうにバスが現れるのでありました。先に立ち上がったのは御船さんの方でありました。沙代子さんは一度バスの方を見てそれからネコに視線を戻して、バスがすぐ横に停車するまで、名残惜しそうにそのネコを撫でているのでありました。
「今日はなんか楽しかったわ、偶然だけど御船君と話せて」
 沙代子さんは立ち上がって云うのでありました。
「大した話しはなにもしなかったけど、俺も楽しかったよ。今のネコの話しはなんか尻切れトンボみたいになったけど。また今度、お前の飼っていたネコの話し、聞かせてくれよ」
「うん、聞かせてあげる」
 沙代子さんはそう云って教科書とかノートとか、空の弁当箱とかの入ったカバンを両手で前に持って、笑窪を両頬に刻んで頷くのでありました。「バス停まで見送りに来て貰ったみたいで、なんかそれも嬉しかったわ」
「いやまあ、愛想は最後まできちんとしないと。なんとなくお前の飼っていたネコの心持ちかも知れないな、これは。今、そのネコの了見がちょっと判ったような気がする」
 御船さんがそう云うと沙代子さんは片手をカバンから離して口元に添えて、肩を竦めてクスッと笑うのでありました。
「じゃあ、また月曜日に」
 バスの入り口の扉が開くと、沙代子さんはそう云ってクルッと御船さんに背を向けるのでありました。沙代子さんの制服のスカートが、ふわりと舞うのでありました。
 バスに乗りこんだ沙代子さんは扉のすぐ後ろの座席に座って、窓越しに御船さんに手をふるのでありました。御船さんはなんとも云えぬ満足感と、少しの解放感と、寂寥感を掌に籠めて、それを窓硝子の向こうの沙代子さんに向かってふり返すのでありました。

 結局御船さんは沙代子さんから、飼っていたネコの話しの続きを聞くことは出来なかったのでありました。学校では沙代子さんと二人きりになるチャンスは殆どないのでありました。そんな場面があったとしても、それは長く話しをするには全く以って物足りないごく短い時間なのでありました。
 土曜日の体操部の練習が終わった後で、前と同じ時間に教室を覗いても、そこに沙代子さんの姿は見られないのでありました。沙代子さんが自分を避けているのかも知れない等と、御船さんは不安に胸をつまらせることもあるのでありました。なにか自分の思いもつかないところで鈍感にも、沙代子さんの不興を買う様な戯れ言をうっかり云って仕舞ったのかも知れないとも考えて、あの日の沙代子さんとの会話を細部まで点検してみるのでありましたが、殊更の不覚はなにも仕出かしてはいないように思われるのでありました。
 それに教室で観る限り、沙代子さんが自分を避けているようには見えないのでありました。つまり沙代子さんは御船さんとは特に関係なく、単にバスの乗り換えを疎まなくなったか、土曜日の一本前の直通バスに乗り遅れなくなったと云うだけなのかも知れません。なんと云う明快で、甘酸っぱさの欠片もない、余計苛々の募るところの理由であることか。
(続)
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