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大きな栗の木の下で 96 [大きな栗の木の下で 4 創作]

 沙代子さんがニコニコした儘、自分の見解に自分で頷いて見せるのでありました。
「そりゃ、出てくれば俺だってケーキも食うさ」
「ケーキに限らなくても、御船君は出てきたものは何でも、ガツガツ食べちゃうって感じでしょう、要するにさ」
「その通り!」
 沙代子さんの言葉には、兎に角食い気ばかりが旺盛で嗜好に対する考慮が殆ど感じられない御船さんへの、少々の揶揄が含まれていたのかも知れませんが、それに気づいていても御船さんはまた得意気な顔をして見せるのでありました。そんな御船さんを、沙代子さんはさも可笑しそうに笑いながら見ているのでありました。
 沙代子さんがさり気なく腕時計を見るのでありました。
「そろそろ、バスの時間か?」
 御船さんが聞くのでありました。
「そうね、ぼちぼち教室を出たほうが良いかな」
 沙代子さんはそう云って立ち上がるのでありました。御船さんはこれで偶然にしろ、沙代子さんと二人だけで話しをした時間が終わるのかと思うと、妙に心残りな気がするのでありました。とは云っても、二人でなにか心躍るようなロマンチックな話をしたわけではなくて、遠慮がちな戯れ言と、主な話題と云えば大学入試の事と、誕生会の事と、クリスマスの事と、ケーキと豚カツと大盛り御飯の事くらいだったのでありましたが。しかしそんな取り取り留めもない話であったけれど、御船さんは充分心躍ったのでありました。
 御船さんの家の在る方面に向かうバスは沙代子さんとは反対方向でありましたから、そのバス停は沙代子さんが待つ停留所の道反対にあるのでありました。しかし沙代子さんの傍を離れ難かったから、沙代子さんが嫌がらないのを幸いに、御船さんは沙代子さんの向かうバス停まで一緒に歩くのでありました。
 バス停では二人横に並んで、なんとなく言葉少なにバスを待つのでありました。一緒にいてくれなくても自分に構わずもう行っていいと沙代子さんが云わないことが、御船さんには大いに喜ばしいことでありました。それはつまり、沙代子さんも御船さんがこうして用もないのに傍にいることを、不快には思っていないと云うことであろうし、むしろ穿って考えれば、沙代子さんの方も御船さんとなんとなく離れ難く思っているのかも知れないではありませんか。
 横に立ちながら、御船さんは沙代子さんの体温が浸みてくるような気がして、たじろぎながらも秘かに陶然となるのでありました。その体温に触れていることがとても嬉しいのでありました。勿論実際の接触は僅かもないのであるし、接触する勇気なんと云うものも全くないのでありましたが、しかしその気配としての体温に触れていることの方が、実際の接触よりは、より素晴らしいことのような気がするのでありました。
 沙代子さんが頻りに腕時計を見るのは、時間になってもバスがなかなか来ないためでありましょうか。御船さんはバスが大いに遅れてくれることを祈るのでありました。御船さんは何時までもこうして、沙代子さんの体温の届く処に立っていたいのでありました。
(続)
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