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大きな栗の木の下で 54 [大きな栗の木の下で 2 創作]

「ああ、そうなの?」
「そうそう。あの鳥もああやって、そうだそうだって何度も頷いている」
「でもあたし、結構反省、て云うか後悔なんか一杯すると思うよ、これから先も」
「まあつまり、沙代子にはいつだってニコニコしていて欲しいわけだ、俺は」
 この言葉はちょっと戯れ言の波に隠れて見つけにくくはありましたが、御船さんの紛うことない本心なのでありました。
「じゃあ、自分に対して、反省するふりを止めればいいわけだ」
「そう云うこと。俺と沙代子でこれから、元合気道部反省しない同盟を創って、反省と云う愚行に対して共闘することにしよう」
「押忍!」
 沙代子さんはそう云ってニコニコと笑って敬礼して見せるのでありましたが、それは大学の合気道部の初稽古の後、二人で定食屋へ行って話をした時に見せた沙代子さんのお茶目な仕草と同じなのでありました。御船さんはなんとなく嬉しくなるのでありました。

 <レコードが発売になると、矢岳君はその前にも増して、途轍もなく忙しくなったわ。それはレコード会社と所属事務所の設定したキャンペーンを、つまり誠実に、忠実にこなしているってことなんだけどね。もう、家に帰る暇もないって感じ。
 レコード会社も事務所も、それに当の矢岳君達のグループも、レコードを売ろうとして必死だったのよ。期待の新人が満を持してデビューしたわけだから、関係者としてはかなりの力の入れようだったの。先輩シンガーのコンサートにゲスト出演するとか、ラジオの収録だとか、ライブハウスでの自分達のコンサートだとかも前よりも格段に増えたし、大きなレコード販売店でのデモンストレーションだとか、毎日々々、朝から夜遅くまで矢岳君はとび回っていたわ。地方にも泊まりがけでキャンペーンに行ったりとかもあったし。
 偶に半日程空いた時間が出来ると、身重のあたしを何時も放ったらかしにしているのが少し気が引けるのか、矢岳君は疲れているだろうに、家事を手伝ってくれたり、買い物につきあってくれたりするの。それに地方に行っていても、毎日欠かさず夜に電話をしてくれるの。他のミュージシャンや音楽仲間とか、それに事務所の人とかと夜飲みにいっても、どんなに遅くなっても矢岳君は帰れる場合には必ず家に帰って来たわ。あたしがもう寝ていると思って、そっとアパートのドアを開けて、静かに部屋に入ってきて、それで起きて待っているあたしと目があうと、ちょっと驚いたような顔した後、なんか如何にも嬉しそうに笑うの。で、あたしもそんな矢岳君の顔が嬉しくて、目を大きくして笑い返すの。
 矢岳君の忙しさからあんまり一緒の時間を過ごせなかったけど、でもその頃があたし、一番幸せだった気がする。一番、矢岳君のことが好きだった気がするの。
 一生懸命矢岳君はあたしとの生活を守ろうとして張り切っていたいたし、あたしもそんな矢岳君と一緒に居られることがとても嬉しかったわ。あたしの実家とのことも、忘れるくらいだった。それにもうすぐ、あたし達の子供も生まれて来るんだし、こんな幸せはないと本当に思ったわ。もう、それは、怖いくらいの幸せだった。そう、怖いくらい。・・・
(続)
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