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大きな栗の木の下で 48 [大きな栗の木の下で 2 創作]

 シクシクやっていると、そのことにかまけて、考えが重苦しい方に向かわないで済んだの、実は。でもさ、油断していると矢張り次々に浮かんでくる色んな考えを持て余して、あたし疲れきって少しうとうととしたの。目が覚めたらもう朝の八時半を回っていて、会社に行く時間を過ぎていたの。それでまたどっと力が抜けて、もう、それでも会社に行くなんて云う気力は到底湧いてこなかったから、その日も会社を休んだの、あたし。
 夜遅く矢岳君が帰ってきたんだけど、あたし、妊娠しているってことをなかなか云い出せなくて、それに矢岳君の顔を見るのが妙にしんどくて、なんてことない会話もちぐはぐになって仕舞うの。まあ、東京に戻って以来、矢岳君の忙しさもあってそんなにあからさまに表には出ないんだけど、あたし達の仲はずっと、前とは違ってどこかちぐはぐではあったんだけどね。で、矢岳君は何時もにも増してあたしの口が重いのを変に思ったみたいで、少し苛々したような調子であたしに聞いたの。
「なんだよ、どうしたんだよ?」
 そう聞かれてもあたし話す勇気がどうしても湧いてこなくて、また泣いたの。あたしさ、そんなにめそめそするタイプじゃないと、自分ではずっと思っていたんだけどね。
「そうやって泣いていても、判んないじゃないか」
 矢岳君があたしの俯いた顔を覗きこむの。あたし矢岳君の目を横目で見たの。その目に、あたしを本当に気遣う色があるのかどうか、確かめようとして。
「これから話すこと、怒らないで聞いてね」
 あたしは意を決して、そう前置きして、あたしが妊娠していることを告げたのよ。
 矢岳君の目の様子が、一瞬変わったわ。それはあたしが告げたことを、迷惑に感じた色が思わず出たためなのか、それとも単純に驚いただけなのか、それは判らなかったの。だからあたしは、矢岳君が次にどう云う言葉を返すのか、緊張してその唇を見つめていたの。
 矢岳君は暫く無表情で天井を向いて黙っていたけど、徐にあたしの方へ視線を戻して、それからニッコリ笑ったの。あたし、その笑い顔を見て、思わずホッとして目眩がしたわ。
「そんなこと、泣きながら話すことじゃないじゃないか」
 矢岳君がとっても優しげな調子で云うの。「お目出度い話なんだからさ」
「本当に、そう思う?」
「当たり前だろう」
「今が矢岳君にとってとても大事な時なのに、迷惑なことだなんて、思わない?」
「今、俺にそのこと以上に大事なことなんか、ないよ」
「本当?」
「本当に決まっているじゃないか」
 そう云われて、あたしまた大泣きするわけ。一気に、あたしの中で固まっていた氷が融けて、蒸発してしまうみたいな気分。いきなりの解放感みたいなものかな。
 でも実は、そんな有頂天の最中にも、どこかで矢岳君の言葉を疑っているあたしが居るの。ここで怒ったり取り乱したりとか、明け透けにみっともないことは出来ないと云う体裁だけから、要するにそんなこと云っているんじゃないか、とかね。
(続)
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