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大きな栗の木の下で 43 [大きな栗の木の下で 2 創作]

「まあ、要するに、歌手だな」
 父が云うの。父なりの理解なのよね、それ。「それでちゃんと、食えるのか?」
 勿論まだレコードも出ていないし、音楽活動での収入と云ったら殆どなかったわけだから、矢岳君はそう聞かれてちょっと俯いてしまったの。
「いや、それだけでは、未だ。・・・でも、もうじきレコードを出します」
「さっきから歌手だと云っているくせに、つまり、本当は未だ歌手でもないわけだな?」
「でも、コンサート活動の方は順調にやっているのよ」
 これはあたしが父に横から云った言葉。父はあたしを睨んだわ。
「なんて云う芸名だ?」
「三人のバンドで、芸名と云うか、バンドの名前は、・・・」
 矢岳君がちょっと云い澱んだのは、そのバンド名を云うことが内心ちょっと気恥ずかしかったからだと思うの。「バンド名は、ほろにが・バンドと云うんです」
「なんだって?」
 父は眉根を寄せて頓狂な声で聞き返したわ。
「ほろにが・バンドです」
「なんだそりゃ。そんな胡散臭い名前のバンドなんか、聞いたこともない」
 今度は吐き捨てるような言い種。矢岳君はその父の言葉にかなり屈辱を感じたようで、凄い顔して父を睨み返したわ。
 で、その矢岳君の表情が、父の堪忍袋の緒が完全に切れる切かけになったのよ。父はいきなりテーブルを両手で叩いて立ちあがったの。
「ふざけるな、なにが歌手だ。要するに就職もしないで、芸能人面してチャラチャラ遊んでいる、詐欺野郎じゃないかお前は。いったいどう云う了見で、ここに現れたんだ!」
 父のこの言葉、矢岳君の自尊心が耐えられる限界を越えていたわ。矢岳君も釣られるように立ち上がったの。もうあたし、泣き出すしかなかったの。
「お父さん、止めてください!」
 母が叫んで父に縋りつこうとするの。
「お前みたいなインチキ野郎に、大事な娘をやれるか!」
 父は矢岳君の胸倉を両手で掴んで、渾身の力で矢岳君を揺さぶるの。あたしは矢岳君がそれに抗って父を突き飛ばしはしないかと、思わず母に縋りついて泣きながらハラハラしているだけ。
 流石に父に暴力で抵抗するのは拙いと思ったのか、矢岳君は手は上げなかったわ。まあ、父の背は矢岳君の鼻の下程だし、大して力もなかったから、矢岳君はそんなに激しく揺れてもいなくて、だから矢岳君の方が倒れる心配なんかはなかったけど。・・・>

 海からの風に乱された前髪を御船さんは掻き上げるのでありました。
「沙代子には、確かお兄さんが居たよな?」
 御船さんが聞くのでありました。「その時、お兄さんは居なかったのか、その場に?」
(続)
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