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大きな栗の木の下で 33 [大きな栗の木の下で 2 創作]

 矢岳君の方は、就職はしなかったの。だって音楽があったからさ。矢岳君は音楽で身を立てる決心を、もう遠の昔からしていたのよ。まあ、或る音楽事務所からも目をかけられていたし、それなりの音楽活動はしていたから、その儘順調に行って、レコードを一枚出せればなんとかなるって考えていたみたい。今思うとかなり甘い考えなんだけど、矢岳君の学内での人気とか、あの頃の忙しさとか、それにかなり自信たっぷりなところとか、それから、それはもう既定路線であって、後はタイミングの問題だけとか云う矢岳君自身の話しぶりなんかから、結構リアリティーのある将来像にあたしには見えていたの。
 だから大学を卒業して暫くの間は、部屋代だけじゃなくて二人の生活費と云うのは、あたしのお給料が土台になっていたかな。矢岳君の方の収入は不安定だったからね。もう、二人で暮らし始めて大分経っていたけど、考えたら始めの方からずっと、あたしの持ち出しの方が、矢岳君よりも遥かに多かったかな。ま、そんなことどっちだってよかったんだけど、現実のこととして敢えて今、云えばね。
「俺は、なんか、沙代子のヒモみたいだよな」
 なんて矢岳君は時々冗談で云うんだけど、あたしはそんな風に考えたことは本当になかったのよ。だって二人の生活を続けられるなら、別にそんなの、あたしは問題じゃなかったから。それに矢岳君は将来屹度、凄いフォークシンガーになれるって信じていたからさ。
 でも考えてみたら、そんな矢岳君とあたしのその頃の生活が、いくら離れているとは云え、ウチの両親に全然バレなかったのは本当に不思議だったわ。まあ、あたし達はかなり用心深くしていたからね。あたし内心は両親に済まないって思っていたの。矢岳君と一緒に生活していることがじゃなくて、それをちゃんと報告していないことがよ。矢岳君も何時か正式に、ウチの両親に挨拶に行かなくちゃなんて云ってくれてはいたの。
「でも今の俺の状態じゃあ、二人のこと、沙代子の両親に絶対許して貰えないだろうな」
 矢岳君は必ず自嘲的にそう云うの。それは確かにそうかも知れないわよね。だって矢岳君は、内実や将来のことは別として、今現在は定職がないってことになるんだろうからさ。いくらあたし自身はそれで良くたって、ウチの両親にしてみれば、大事な娘の彼氏がそんなじゃあ困るわよね。絶対認めてなんてくれるはずがないもの。・・・>

 俺だって、そんな野郎が沙代子の彼氏だなんて認められないよと、御船さんは心の中で叫ぶのでありました。まあ、男前で、定職についていて、堅実な生活観を持っていて、将来の出世も約束されていて、しかも両親が大金持ちで、志操堅固で、人格温厚で、溢れんばかりの愛情を沙代子さんに注ぐ男だったとしても、御船さんはだからと云ってそんな男をも、沙代子さんの彼氏とは決して認めないでありましょうけれど。
 それなのに、ちゃらちゃらと沙代子さんのおぼこぶりにつけこんで云い寄って来て、沙代子さんのアパートに早速転がりこんで生活費の殆どを負担して貰って、自分はのうのうと好きな歌を歌って生活しているなんと云うのは、とんでもない話であります。全く以ってふざけた野郎だと、御船さんは矢岳と云う男に対して大いに怒るのでありました。そんな御船さんの頭を冷やすように、海からの風が御船さんに吹きつけるのでありました。
(続)
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