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「四月廿九日。祭日。陰。」7 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 上を向いて裸電球を捻って点けた後、男はよろけて布団に崩折れるように尻餅をつくのでありました。思わず唸り声を上げるのでありました。尾骨を打った痛みが先程苦痛の治まった腹の中に響くのでありました。男はその痛みの余波が納まるまで、布団に両手をついてじっとしているのでありました。暫くそうしていた後、男は気を取りなおすように小机に向かうのでありました。今日の日記を書くために男は震える手でインキ瓶の蓋を開け、筆置きからペンを取り上げるのでありました。
 大正六年、三十七歳の時から四十二年間書き続けている日記なのでありました。それは世間から賞賛を浴びた男の数多くの著述の中でも、最も誇れるものであると思うのでありました。男にとって日記は、単なる備忘録とか出来ごとの羅列とか云う代物ではないのでありました。それは発表を前提に書かれている作品なのでありました。
 当初は文章を錬り加筆修正を繰り返し、万年筆で下書きしたものをもう一度和紙に筆で清書して、時には散歩した処の詳細な地図や挿絵も挟むのでありました。それを丁寧に自ら和綴じ製本して五冊ずつ帙に入れるのでありました。戦争で東京への空襲が激しさを増した時、男はこの日記の消失を恐れて従兄弟に安全な場所でこれを保管するよう依頼した程でありました。遂に男がその頃住んでいた麻布の家が焼けた時も、なによりも先に男は手元に残していた分のこの日記の綴りを持ち出そうとするのでありました。それが今は、下書きもなく市販の縦罫ノートに、真ん中に歪な横線を引いて頁を二段に分け、そこにペンで日付と天候と食事の記録を列記するだけのものになってしまったのでありました。
 それでも男は日記を書き続けるのでありました。今やその仕事を続けることのみが、男がこの世に生きて在る理由なのでありました。男は先の戦争の戦火を掻い潜り、戦後の混乱をもなんとか乗り切って、今日まで生き続けているのでありました。老いて作品を書く気力もない儘、それでも相変わらず一人きりで生きて在るのでありました。それは単に死なないから生きている、と云った風でもあるのでありました。それに日記を書くと云う仕事を永遠に放擲出来ないから、生きてなんとか続けていると云う風にも云えるのでありました。男は実は、生きていることにさして執着はないのでありました。
 男はノートにペン先を下ろすのでありました。頁の二段目の終わりの方の行に震える手で文字を並べようとするのでありました。一端ペンが紙を捉えると男の手から震えが消えるのでありました。それは文士として生きた男の覚悟を、今に至っても強く表しているようでありました。「四月廿九日。祭日。陰。」と男は文字を頁に刻むのでありました。文字の並びが左に少し流れるのでありました。しかし表記された文字は指の力の衰えなどどこにも映していないのでありました。
 それ以上、男の持つペンは動こうとしないのでありました。やっとそれだけ書いて、男はもう書く体力と気力を失くすのでありました。昨日は日付と天候の後に「小林来る。」と書き入れたのでありました。小林と云うのは、市川で前に住んでいた家を購入する時に尽力してくれた人で、以来男がこの今の新しい小さな家屋を新築する時も頼りになし、よく男の家を訪ねて来て細々とした用を代わってこなしてくれる、また時には濡れ縁に腰かけて男と世間話などもする、何時も機嫌の良い好漢なのでありました。
(続)
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