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「四月廿九日。祭日。陰。」4 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 綿埃の先には万年床が敷いてあるのでありました。殆ど日に干したことがない布団は、やけに薄っぺらに見えるのでありました。薄い布団は人の形なりに窪んでいるのでありました。汚れた敷布の上に汚れた枕が少し歪んで載っていて、その先には朝起きる時に捲った儘の毛布と掛け布団が歪な山を作っているのでありました。
 枕元には小さな火鉢とその横に炭入れの籠、それから、筆入れやら開いた本やら湯呑やら日記を綴るためのノートやらが乱雑に載った小机、煙草とマッチ箱、吸い殻が山になった灰皿、疥癬の薬瓶や軟膏の入った小さな竹籠、ガーゼの束、それに印鑑やら証書やら預金通帳やら全財産が入った小さな青色のバッグ等が、何れも埃を被って布団を囲んで散乱しているのでありました。他にも駅前の煙草屋兼菓子屋で煙草とチソパンを買った時のくしゃくしゃにした紙袋が何枚も山を作り、火熾しのために拾ってきた紙屑や古新聞、無精に放った儘の屑籠に入れ損ねたちり紙、脱いだ下着等が散乱し、畳のあちらこちらには煙草の火に依る焼け焦げも見えるのでありました。家具類は殆ど何もないのでありました。
 この奥の六畳間は手伝いの老媼にも掃除させないのでありました。部屋にある一切のものに人の手が触ることを男は拒んでいるのでありました。横の四畳半にも洗面器の上に置いた七輪、古座布団、渋団扇、底の焦げた小さな鍋に薬缶、すっかり埃に塗れた縁の欠けた朱盆には茶筒と急須と空のインスタントコーヒーの瓶、割り箸、プラスチックの匙、それから矢張り紙屑や衣類等が乱雑に散らばって畳を覆い隠しているのでありました。だから手伝いの老媼の仕事と云ったら、朝の雨戸開けと七輪の火起こし、台所と便所と玄関周りの掃除、下着類の洗濯くらいしかないのでありました。まあ、男としたら自分の身にもしものことがあった時のための発見者として、老媼に毎日来て貰っているのでありました。
 もう二時間程こうして我慢していれば、腹痛は去るはずでありました。何時もそうでありましたから。これまでの経験から、ほぼ四時間で痛みは男の体から消えるのでありました。それは胃の内容物がそこからなくなるまでの時間であると思われるのでありました。しかしそれにしてもなんと長い苦悶の四時間でありましょうか。
 男は当てた掌を小刻みに動かして腹を摩るのでありました。そうするとその摩擦する行為によって、気持ちが痛みの一点から散じるような気がするのでありました。しかしそう何時までも腹を摩っている体力もなく、男は手の動きを止めるのでありました。するとまた苦痛が腹の底に固く凝固するのでありました。今度は縮こめていた体を伸ばしてみるのでありました。ひょっとしたらその姿勢の方が痛みを軽減するのではないかと考えて。
 一瞬それは図に当たったように思えたのでありましたが、しかし段々、痛みは体を小さくしていた時よりも増幅していくのでありました。男はまた膝を胸に引きつけて体を丸めるのでありました。腕に力が戻り切ってもいないのでありましたが、また手を動かして腹を摩るのでありました。どうやらこれが一番良い、痛みを和らげる方策であるようなのでありました。
 男は痛みに疲労するのでありました。手はもう腹を摩擦する元気も失くしているのでありました。疲れきって男の意識が霞むのでありました。そうだこの儘眠ってしまえばその間は痛みから解放されるのだと、男は靄のかかったような頭の中で思うのでありました。
(続)
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