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「四月廿九日。祭日。陰。」3 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 家に帰って暫くすると、なんとなく胃の辺りに違和感が湧き起こるのでありました。それでも最初の日のそれは軽い痛みが小一時間程続くだけでありましたから、さして気に留めることはなかったのでありました。この程度の腹痛は若い時から胃腸の弱かった自分には、度々起こっていたことでありましたから。
 しかし次の日も大黒家から帰ると同じ痛みが胃に兆すのでありました。そして次の日にも。痛み続ける時間はほぼ四時間であり、苦痛の部位もその程度も同じような按配なのでありました。そうなれば腹痛と食事は間違いなく関係があると思われるのでありました。
 それでも正午近くの大黒家での昼餉は毎日の一度きりの食事らしい食事なのでありました。それに食欲もあって銚子一本とカツ丼は残さず胃に納められるのでありましたから、胃に問題があると断定も出来ないような気もするのでありました。寧ろ胃の不快から絶食をすることに依って体力が落ちることの方を、男は恐れるのでありました。折角風邪の不調を脱したと云うのに、絶食して体力を失って復調が台なしになるのは、腹痛に耐えるよりももっと堪え難いことのように思えるのでありました。
 暫く休んでいた胃がここにきて再稼働を課せられたものだから、驚いているためなのであろうと男は考えるのでありました。その内この腹痛も屹度治まるに違いないのであります。今は腹痛よりも体力の回復が優先なのであります。
 一応医者に頼ると云うのが、今の場合の適切な対処なのでありましょう。しかしそれで通院とか、場合に依っては入院などと云うことになっては、これ程面倒なことはないと男は考えるのでありました。煩わしいことを引き受ける気力や、それをこなすための根気と云うものを、男はとうの昔に失くしているのでありました。

 男は突き刺すように当てていた指を尚も腹に喰いこませるのでありました。その皮膚からの圧迫によって腹の奥の痛みが少し散じるような気がするのでありました。暫くの間指を突き刺した儘にして、徐にその圧を緩めるとほんの暫し腹奥の痛みが消え失せるのでありました。一瞬の解放感でありました。しかしすぐにまた鉛のような痛みは奥深いところで次第に固まり始めるのでありました。
 この毎日の苦痛から解放されるのならば、既にもう僅かとなった自分の残りの生の時間から一日二日、死神に差し出してもよいとさえ男は思うのでありました。男は痛みに倦んでいるのでありました。執拗に自分を嘲弄するように続く腹痛に、憤慨しているのでありました。もういい加減にしてくれないかと、男は口の中で唸るのでありました。
 男はそこへごろんと横になるのでありました。それは姿勢を変えれば、少しは痛みが和らぐかもしれないと考えたからでありました。男のかけていた黒眼鏡が少し摺り上がるのでありました。男は横になって、膝を出来るだけ胸に引きつけて体を丸めるのでありました。今度は指ではなくて、腹に当てた両の掌がその姿勢のために強く腹を圧迫するのでありました。この方が苦痛に対してはより楽な姿勢のような気がするのでありました。
 目の前に綿埃が見えるのでありました。その黒く丸い汚色の中に彼の抜け落ちた数本の白髪が混じっていて、艶やかに絡みあって立っているのでありました。
(続)
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