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石の下の楽土には 97 [石の下の楽土には 4 創作]

 島原さんとは未だ逢えないのでありました。駅前とか街中でそんなに簡単に島原さんと出くわすはずがないのは、全く以って当たり前なのでありました。だから拙生はかなり気後れがあったのでありましたが、あの墓地に行って島原さんの奥さんの墓の前で、島原さんを長いこと待ったりもしてみるのでありました。しかし島原さんは矢張り一向に現れないのでありました。花が供えてないのでありますから、島原さんはあれ以来、ここには未だ来ることが出来ずにいるのでありましょう。
 拙生は島原さんの奥さんがなんとなく可哀想になって、娘が嘗て働いていたであろう花屋から花束を買って、それを持って墓地に行くこともあるのでありました。当然娘の家族の墓には、花束の中から二本の花を取って一本ずつを二つの花立てに夫々差すのは、これは娘がしていた供養に倣ってのことでありました。拙生は娘の家族の墓には実に以って非礼極まりない真似を働いたのでありましたから、大いに豪勢な花束等を供えて詫びるべきところではありましたが、それでは返ってその墓の供養に似つかわしくないような気がするのでありました。そんな風なことを思いながら、何度か墓地へ足を運んだのではありましたが、島原さんとは全く逢えないのでありました。
 或る小さな出版社への就職が本決まりになって、拙生は通勤の便を考えて幾らか都心へ近い街へ引っ越すことにするのでありました。住み慣れたアパートやこの街に別れを告げる寂しさは大いにあったものの、就職が決まったのを切かけに生活の一新であると、多少の気負いも一方にはあるのでありました。心残りは、遂に島原さんと逢えない儘であることでありましたが。
 まあしかし、この儘島原さんが墓地へ行かず仕舞いであることは多分ないでありましょう。奥さんに対して(と云うか「亡くなった」奥さんに対して)島原さんは優しい心根でいるのでありましたから、自分の突拍子もない思いつきが、確かに突拍子もない思いつきであると納得すれば、何時かは必ず墓参も再開されるのでありましょう。そうして墓地で娘と再び出逢えば、何度も云うようですが、要はそれで御の字と云うことであります。
 ・・・・・・
 引っ越しの二日前に拙生は『雲仙』に顔を出すのでありました。未だ開店前の時間で、小浜さんは仕こみの最中でありました。新しいアルバイトもぼちぼち仕事に慣れたようで、小浜さんの指示を一々仰がなくとも、なんとなくそれらしく忙しげに立ち働いているのでありました。
「おう、なんだ秀ちゃんか。久しぶり」
 入口を入った拙生に小浜さんは一瞬意外なと云う顔をして、それからすぐに口元を綻ばせて見せるのでありました。
「どうもご無沙汰していました」
 拙生がそう云って頭を掻いて見せると、小浜さんは仕事を中断してカウンターの中から出て来るのでありました。
「どうだい、就職活動の方は?」
「ええ、ここに来てようやく決まったんで、それで、ちょっと挨拶にと思って」
(続)
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