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石の下の楽土には 87 [石の下の楽土には 3 創作]

「ああ、そうですか。・・・」
 拙生はまたそう繰り返すのでありました。
「実は、娘が墓の中に入ったんだと気づいてからね、私は恐ろしくて恐ろしくて、墓地に行くことが出来ないでいるんだよ」
 島原さんはそう云った後に小さな身震いをするのでありました。「なんかあの墓の中に娘が身を横たえているんだと思うと、とても墓地には近づけないんだよ」
「じゃあ、奥さんの墓参りも、今は中断していると云うことですか?」
 島原さんはその拙生の問いに、ごく振幅の小さい頷きを一つ返すのでありました。
「本当に不本意なんだけど、私はどうしても墓地に行けないんだよ」
 島原さんの猪口を握る指が小刻みに震えているのでありました。
「で、どうする積りでいらっしゃるんでしょうか、島原さんは?」
 暫くの沈黙の後、拙生が聞くのでありました。島原さんは拙生から目を逸らして、俯いてしまうのでありました。
「この後どうしていいのか、私には全く判らない。・・・」
 そう云って島原さんはため息を一つ吐き出すのでありました。その息は島原さんが両手で持つ猪口の中に入りきれずに、縁から溢れるのでありました。
 ・・・・・・
 この頃は居酒屋『雲仙』の雰囲気がすっかり変わって仕舞っているのでありました。良く云えば以前より活気が出てきたとも云えるし、悪く云えば騒々しくなったと云えるのでありました。客層も様変わりして、カウンターには薬屋の主人が何時も陣取っていて、酒屋の茂木さんや肉屋の高来さん、それに時には不動産屋の社長も顔を見せて、横に居並んでワイワイと楽しそうに杯の遣ったり取ったりや、ビールの注ぎっこが繰り広げられるのでありました。また『イヴ』のママやらそこで働いている若い娘やらが来たりもするし、それに『イヴ』繋がりで新しい男の客も幾人か出入りするようになるのでありました。
 小浜さんも以前に比べると如何にも饒舌に客あしらいをするようになったし、時には居並び連の大笑に和して、高らかな笑い声を発するようにもなるのでありました。商売繁盛と云った様子は、それは経営と云う面では大いに歓迎するところではありましょうが、それにその変化を喜んでいるらしい小浜さんには申しわけないのではありましたが、拙生にはどこか馴染めない鬱屈があるのでありました。なにより小浜さんの仕事ぶりが、以前に比べて少々雑になったように感じられるのでありました。それは拙生にはなんとも遣る瀬ない変化なのでありました。
 島原さんはあれ以来、全く店に来ないのでありました。憔悴の面持ちで肩を落とした儘帰って行った島原さんの丸めた背中が、拙生は何時までも目に焼きついていて離れないのでありました。島原さんは未だあの突拍子もない思いつきに翻弄されていて、墓地へ行くことも出来ず、解決策も思い浮かばない儘悶々と毎日を送っているのでありましょうか。全くの偶然頼みでありましたが、なんでもなかったような顔で街の中を歩く娘に、島原さんがパッタリ出くわしてはくれないものかと、拙生はそんなことを願うのでありました。
(続)
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