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石の下の楽土には 48 [石の下の楽土には 2 創作]

 さようなら、と拙生は納骨壇に飾られた彼女の小さな写真に無言で云うのでありました。
写真の彼女は変わらぬ微笑を浮べているだけでありました。拙生は彼女との<縁>が如何にも遠く隔たったのだと云うことを実感するのでありました。そうして彼女の死を知らされた時と同じくらいの喪失感に拉がれるのでありました。しかしそれはあの時のように、体中の総ての血管が一気に収縮しきったように衝撃的だったわけでもないし、手荒く頭蓋の中を掻きまわされたように混乱の極みに陥ったわけでもない、なにかゆっくりと深海に沈んで行くような、云ってみれば底なしの委縮感とでも云うものに近かったであろうと思うのであります。お前を二度失ったことになるなと拙生はそう云って苦く、しかし静かに、彼女の写真に笑い返すのでありました。
 この先どうしていいのかさっぱり判らない、と拙生は写真に語りかけるのでありました。
お前とずうっと繋がっているための方法が総て閉ざされてしまった気分だと、拙生は写真に訴えるのでありました。写真の彼女の微笑みがなにも変化しないのは、当たり前のことでありました。拙生は変化しない彼女の微笑を見詰め続けるのみでありました。
 どうしていいのかさっぱり判らないのなら、なにもしなければ良いと、写真の彼女が云うのでありました。いや勿論写真が話すはずはないので、それは拙生の、窮余の一策と云うには余りに茫漠とした、冴えないくすんだ不意の思いつきだったのでありましょう。静かな水面を突然跳ねる小魚の水音程度の。成程、なにもしないと云う手があったかと、拙生はもっと苦く笑いながら写真の彼女に云うのでありました。そうしてなにもしないでいるとその内、屹度治らないと思っていた傷も、恐らく知らない間に癒えて仕舞うのだろうと思うのでありました。それがいかにも無精で不甲斐なくて寂しい術であるにしろ。
 でも、お前がそう云うのなら、なにもしないでいると拙生は云うのでありました。彼女の不在を受け入れて、それに決然と耐えると云うようなきっぱりした態度では些かもないけれど、そのきっぱりしなさ加減が、結局彼女が居なくなったこの世となんとなく折りあいをつけながら、この先一人でこの世を過ごすための一番上手い方策なのかも知れないと、拙生は頷くのでありました。取り敢えず、その方策の善し悪しとか、後に悔いるかも知れないとかそんなことは置いておくとして。第一ちゃらんぽらんな拙生には、それが最もしっくりいく方策に違いないのでありました。
 さようなら、と拙生はもう一度写真の彼女に云うのでありました。ずうっと先にそっちに行ったら真っ先にお前を訪ねるから、それまで忘れないでいてくれよと声に出さずに云って、拙生は写真の彼女と同じような微笑みを浮かべてから、片手を上げて見せるのでありました。如何にも未練な仕草でありました。
 時に遣る瀬なさにアパートの部屋の壁を不意に強打してみたりすることもありました。自棄になって当時そんなに飲めもしない酒を大量に呷ってみたり、友達の何気ない言葉に急に激昂してその友人の顔を震える拳で殴ってみたりと、情緒に醜い乱れをきたして仕舞うこともありはしました。しかし時間の経過と云う恐ろしく強大で揺るぎない摂理によって、確かに拙生の傷はやがて瘡蓋に覆われ、乾き、大方塞がっていくのでありました。そう云う経緯を、とても寂しく思ったり、歯がゆく思ったりもするのではありましたが。
(続)
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