So-net無料ブログ作成

石の下の楽土には 39 [石の下の楽土には 2 創作]

「仏教で云うと、極楽とか浄土とかになるんでしょうがね」
 島原さんは傾けた徳利をゆっくり元に戻すのでありました。「まあ私はもうこの歳ですから、今後、今生で見る良い目と云ってもたかが知れているし、どちらかと云うと来世に期待するところは大いにあるんですが、しかし墓地で出逢う未だ二十歳そこそこの娘が、この先、今生を亡くなった家族の供養だけで生きて、来世に行けるであろう楽土のことを夢見ているなんと云うのは、今のご時世どこか歪な了見に思えるんですよね」
「そりゃそうだ。第一どこに居ようと、どんな狭い世界で生きていようと、この先その娘には色んな、面白そうなこととか誘惑とかが、嫌でも目の前にふんだんに湧いてくるでしょうから、墓参りだけでその後の人生を送れるわけがない。今はそんな心根でいたとしても、屹度その内すぐに心変りして、墓にも滅多に姿を見せなくなるんじゃないですかね」
「まあ、私もオヤジさんが云うような風になった方が良いと思いますがね」
「屹度そうなりますね。まあ、その娘は今のところこの世に絶望しているんでしょうが、そのくせ、まだこの世に救いがある事も信じてもいるんですよ。その救いに縋りつこうとしているんですな。その証拠が島原さんとの墓地での会話だと見ますね、アタシは」
「ほう、そうなんですか?」
 島原さんは口元持っていった猪口をそこで止めて小浜さんを見るのでありました。
「本当に絶望しているのなら、偶々現れた島原さんに話しかけたりするもんですか」
「それは花を貰おうと思って」
「いや、その後もその娘は島原さんには身の上話みたいなことも話すんでしょう? それに島原さんの奥さんの墓の周りを、自分から掃除してるんでしょう?」
「ええ、そうですね」
「と云うことは、墓参り以外にこの世になんの興味もなかったはずなのに、島原さんが出現すると、その娘の興味が自分の家族の墓石以外のところにも、自然にと云うか、当たり前に向いたと云うことですよ」
「花や線香を貰っているから、礼儀上それくらいはするんじゃないかしら」
「家族の供養以外に本当に興味がないのなら、島原さんに自分の身の上語をしたり、あかの他人の墓の周りを掃除したりするもんですか」
 小浜さんが島原さんの前の徳利を取って、下に置いたままの猪口に酒を満たすのでありました。「娘は島原さんの出現が、嬉しかったんですよ、屹度。憂い以外になにもないと思っていたこの世だったけど、島原さんの出現で、ポオッと娘の目の前に薄日が差したような具合になったんですよ。家族の供養以外に、この世になんの興味もないと云い張っていても、まあそんなもの、なんかの切っかけですぐにころっと変わるものですよ。島原さんを無意識に頼っているからこそ、身の上話もするし、島原さんに喜んでもらいたいから、奥さんの墓の周りも掃除するんです。人を頼ったり、その歓心を得ようとする行為は、頑なな厭世観からは生まれてこないでしょうし」
 拙生は小浜さんのこの洞察に秘かに感心するのでありました。家族から逃れて一人で釣りをすることによって、小浜さんはこのような慧眼を手に入れたのでありましょうか。
(続)
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0