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石の下の楽土には 14 [石の下の楽土には 1 創作]

 島原さんはその日以降店がひどく混んでいる時以外は、カウンター席に座って二本以上の徳利を傾けてから、鰤大根を食して帰るようになるのでありました。多少こちらが忙しくしていても、遠慮して店の奥の二人がけの席につこうとする島原さんを、小浜さんはまあまあこちらへとカウンター席に招いて、仕事のあい間になるだけ話し相手になっているのでありました。拙生の方は相手としては若すぎるためか、それに拙生の接客経験の不足もあって、あんまり上手く島原さんの口の滑らかさを引き出せないのでありました。
 島原さんは何日もかけて自分の出自や経歴や、奥さんとの馴れ初めの事とか家族の事、自分の性格やそれに纏わる話、それに墓地で出逢う娘の事など、時間経過は前後しながらもぽつりぽつりと話してくれるのでありました。小浜さんが聞き上手なものだから、結構色んな事をほろ酔いに任せて喋る島原さんは、見ていて如何にも気持ちよさそうなのでありました。島原さんが多分唯一、くだけた感じで人とお喋りが出来る場として居酒屋『雲仙』があったものだから、島原さんの舌もそれを嬉しがって大いに大回転したのでありましょう。まあ、大回転と云っても縦板に水と云った風では決してなくて、舌の回転を不得手とする島原さんにしては、よく回転すると云った意味に於いてであります。
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 島原さんは千葉の産で、亡くなった奥さんと結婚したのは、太平洋戦争も終局にさしかかった頃と云うことでありました。当時呉の海軍工廠で軍人として働いていたと云うことでありましたが、体が壮健ではなかったために、内地勤務であったと云うことでありました。いくら体が丈夫でないとしても、戦局が悪化していて、この先何時艦艇勤務を命ぜられるか判らないから結婚はしないつもりであったのだけれど、千葉の実家から結婚を急かされて、面倒だからもし良い人が見つかれば結婚しても良いと云うごく消極的な内諾を伝えていたら、そう間を置かずに千葉から奥さんに当たる女性が、遥々呉までやって来たのだと云うことでありました。見合いもせず、いやそれどころか顔も見たことがないまま、実家の云いなりに結婚をさせられたのだそうであります。当時はそう云う結婚の形も珍しい話ではなかったからと、島原さんは回想するのでありました。奥さんは島原さんより一つ年上であったそうであります。
 新所帯を構えてみたものの窮地に陥っていた戦局のために、呉で落ち着いた新婚生活など送れるはずもなく、転属やらなにやらであちらこちらを転々としたのだそうであります。島原さんは艦艇勤務も少しの期間はあったけれど、結局横浜で終戦を迎えたと云うことでありました。終戦後は千葉の実家で暫く暮らしていたのでありましたが、二年後に或る知人の伝手で東京の小さな印刷会社で植字工として職を得ることになったのでありました。
 お子さんが一人あったそうでありますが、十歳になる前に病気で不幸にもこの世から去って、その後はお子さんには恵まれなかったのだそうであります。奥さんはお子さんを亡くされるまでは結構社交的で活発な方であったそうでありますが、それ以降、島原さんの言葉によれば「陰気で、めったに口を開かない無表情な女になってしまった」と云うことでありました。尤も島原さん自身も「どちらかと云うと無愛想で人づきあいが苦手なタイプ」だから「それをどうこう云う筋あいも自分にはなかったけど」と云う事でありました。
(続)
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