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方言のはなし (2) [時々の随想など 雑文]

 叔母がうら若き頃東京に出てきて、春まだ浅い候、デートの最中に道に冬眠から覚めたばかりの蛙が車に轢かれているのを見て、衝撃のあまり思わず「うわあ、ビッキのびっしゃげとる!」と叫んでしまって、その意味不明な悲鳴に因って、最愛の彼氏を失ったと云う話を聞いたことがあるのでありました。実に悲しい出来事であると、悲哀の色を瞳に浮かべながら、内心ニタニタ笑って拙生はそれを聞いたのでありました。
 それから「うっかんげる」でありますが、古語に「穿ぐ」と「かなぐる」と云う言葉があります。『徒然草』第五十三段の「これも仁和寺の法師」に、稚児が法師になる名残りの宴席で、ある法師が座興に鬼踊りの積りで足鼎を頭から被って舞い出たのはいいけれど、その鼎が抜けなくなると云う話があります。手を尽くした後乱暴な話でありますが耳や鼻が切れてなくなっても、死ぬことはないから無理矢理引き抜けと云う者があって、そうしたら抜けはしたものの予想通り耳鼻が削ぎとられてその傷は長く治らなかったと云う話しであります。この中に「耳鼻欠けうげながら抜けにけり」とあり、この「うげながら」は「穿げながら」で、詰まり欠け落ちるであります。また「かなぐる」は『竹取物語』にある表現でありましたか、引き抜くとか掻き毟ると云う意味であります。何れも壊れると云う意味あいであり、この「穿ぐ」と「かなぐる」があわさって「穿きかなげる」となり、「うっかんげる」になったのではないかと愚考するのであります。当たっているかどうかは全く以って自信がないのでありますが。
 かの『徒然草』のお稚児趣味に加担するお調子者の俗物法師も「うっかんげる」のが鼎ではなくて自分の顔であったのは、まことに以て気の毒なことでありました。大事にしていた玩具が友達の手に因って「うっかんげた」くらいに、或いは高価な古本を友達に貸したら、表紙の一部に傷がつけられて少し「うっかんげた」状態で、しかもコーヒーか醤油染みをつけられて返ってきた場合程度には、気の毒な話であります。
 「ととしか」と云うのは「不器用だ」という意味であります。最近は殆ど見ることはないのでありますが、レコードに針を乗せるのがやけに下手クソなヤツとか、饅頭を食おうとしたら自分の指まで噛んでしまうヤツは実に以て「ととしか」ヤツなのであります。ズボンを穿こうとしてすっ転ぶのも、部屋の中で足の小指を箪笥に打ちつけるのも、髭を剃ると必ず鼻の下に傷をつけるのも、他所の家で靴を綺麗に脱ごうとして、足を靴から離す最後の瞬間で、片方の靴をちょろっと蹴ってしまうのも己が「ととし」さ故であります。多少おっちょこちょいと云うニュアンスもこの言葉には含まれますか。
 「ぬっか」は暑いと云うことで「温い」であり、この云い方は多湿な感じが籠っていて扶桑の夏の暑さを上手く表現していると思うのであります。「ぐらいする」は「うんざりする」と云う意味であります。「ぐらいするぐらい」は「うんざりするくらい」で、なんとなくドイツ語のような語感に聞こえるような聞こえないような。「ずんだれ」は「だらしない」で「ズボンのずんだれとる」は今の若者の腰パンを見たら佐世保のオバチャンは屹度そう云うのであります。うんにゃくさ、あんまいこがんふうけたはなしばっかいいつまででんしよるぎんた、しぇんしぇいにがらるっかもしれんばい。そいにみんなにいっちょかれでんしたらみたんなかけん、こんぐらいにしとかんば。そいぎんた、バイバイばい。
(了)
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