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合気道の稽古態度について [合気道の事など 2 雑文]

 久々の合気道の話題でありますが、些かイカメシ気な話題で恐縮するのであります。大上段から稽古態度について論じようとするものではありませんから、なんとなく「ふうん」と云った調子でおつきあいいただければ幸甚であります。また、前に何処かの文章で少し触れた内容でもあります。
 合気道を稽古する目的は個人によって自由であります。武道そのものとしての合気道を追求しようとする人、誰かより強くなりたいと思って稽古に通う人、克己を目的にその端緒を掴みたいと思って稽古に打ちこむ人、合気道の雰囲気が好きだと云う人、美容と健康のためと云う人、稽古後の誰かさんとの憩いの一時を目的に通う人、若しくは稽古後に大勢の仲間とワイワイ酒盛りをするのが目的の人と、多種多様であります。また一つだけの目的ではなくて幾つかの目的が同じ斤量で複合していることもあるでありましょう。
 目的別にクラスを分けて稽古出来るような専用道場を持つ団体は別として、その他の多くの団体は色々な目的の人が同じ時間と空間の中で稽古することになるのであります。さればそこに、一定の規範が持ちこまれなければならないのは必然のことでありましょう。
 合気道はその成り立ちから今日まで、純然たる武道としてこの世に存在しております。宗教的側面を強調されている合気道、健康法に特化された合気道、喧嘩の術としての合気道、修身の道として特化された合気道等は史上謳われたことはあっても、それは合気道に似て非なるものでしかありませんでした。或いは合気道の偉大な全体像から一部を切り出してそこのみを誇張した、合気道の一側面でしかありませんでした。
 因って、当然のこととして合気道は武道として稽古されなければならないのであります。これは各人各様の目的に関わらず、稽古形態としては武道の形式と武道的な意識、武道的な態度によって稽古されなければならないのであります。それが結果として、健康や美容に大いに資するのであるし、スカッと爽やかな稽古後の充実感を齎すのであります。また自己を見つめ直す契機を提供するのでありますし、共にする稽古を通して仲間との繋がりを篤くし、美味いビールが飲めるのであります。
 この技の稽古は健康に資するところがないと考えてそれを行わなかったり、折角の指導をそんなことは相手を吹っ飛ばすことに役には立たないとお座成りな態度で聞き流してしまったり、そんな地味な稽古では汗が出ないと不満気な顔をしていては、結局結果としての健康も、強さも、爽やかな汗も手に入れることは到底出来ないでありましょう。そんな勝手気儘な稽古態度では武道的な緊張感も喪失してしまっていて、思わぬ怪我をしたりさせたり、それに全体の稽古の雰囲気にも悪影響を及ぼすだけであります。
 幾多の先人が苦心して積み重ね研究してきた合気道の稽古の歴史を、合気道以外の自分の狭い経験や知識を余りに過信して感覚的に摘み食いして事足れりとするのは、如何にも合気道の稽古に馴染まない傲慢な態度でありましょう。また自分の技の発展も停滞してしまい、結局合気道のほんの狭い表面を軽く撫でた程度で、健康や爽やかな汗どころか、合気道に対する度し難い勘違いと軽視だけを獲得して終わるのではないでしょうか。
 往々にして比較的ベテランの域に近づいた人にこのタイプが多く見受けられます。そんな気概も自戒も忘却してしまったベテランなどにはなりたくないものであります。
(了)
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