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枯葉の髪飾りCCⅩⅩⅧ [枯葉の髪飾り 8 創作]

 納骨壇は前と何も変わってはいないのでありました。吉岡佳世の微笑む写真をちらと見遣ってから、壇の中の花立てを取ってそれを持って一端納骨堂を出るのは、すぐ脇にある水道から水を取るためでありました。持ってきた花束の結束を解いて拙生はそれを花立てに立てるのでありましたが、何時も活け方には拘らなくて無造作に花を差すだけであったのに、今回は見栄えをいやに丁寧に調えているのは、壇の中の彼女の写真の前に万年筆を置く瞬間を、少しでも先延ばしにしようとする潔くない魂胆からでありました。
 しかしそうも長く見栄えを気にしていても仕方がないから、拙生はいい加減に踏ん切りをつけて花立てを持ち帰って壇の中に戻すと、一呼吸して、上着の内ポケットから万年筆を取り出して吉岡佳世の写真の前に置くのでありました。
<ちょっと大学の都合で早う帰ってきたばい。吃驚したやろう?>
 拙生は写真の彼女にそう話しかけてから、万年筆と彼女の写真とを交互に凝視するのでありました。何時まで待っても前のような変化は、何も起こらないのでありました。遅かったのかと、拙生は眉根を寄せて考えるのでありました。この二ヶ月足らずの間に、吉岡佳世は人間であった頃の感情の残滓をすっかり失くしてしまったのでありましょうか。
<ちょっと、大学の都合で、早う帰ってきたばい。吃驚、したやろう?>
 拙生はもう一度同じ言葉を繰り返すのでありました。同じではあるものの、それは念じるとか祈るとかに近い無声の叫びでありました。しかしやはり万年筆は微動だにしないし、写真の彼女はほんの些細な表情の変化も見せてはくれないのでありました。
 拙生はなにやら茫漠とした異界に、一人取り残されたような寂寥感をいきなり感じるのでありました。いや寧ろ恐怖と云っても云い過ぎではないかも知れません。遂に吉岡佳世との交通が遮断されたのでありました。それは、仕方のないことなのでありましょうが、しかし拙生には耐えられない喪失なのでありました。それでも一縷の望みを託して、拙生は小一時間も万年筆と吉岡佳世の写真を見続けているのでありました。如何にも未練な仕業でありました。
 夏休みが終わって東京へ戻る日に、ここで最後に壇の中の吉岡佳世と交感した時を思い出すのでありました。拙生がまるで写真の彼女と喧嘩別れをしたような気分になって、項垂れて帰ろうとしたその時、まるで拙生をもう一度ふり返らせるように胸ポケットの万年筆が微かに振動したのでありました。拙生が驚いて壇の中を見ると、写真の彼女が逡巡の後に云いそびれたことを遂に口にするように、寂しげな表情で目を潤ませながらさようならと云ったのでありました。今となっては、その時が拙生との交通がかろうじて出来る最後の瞬間であることを、彼女は判っていたのかも知れないと思うのでありました。
 拙生は万年筆を取るのでありました。冷たいその感触が、なにやら拙生への最後通牒のような気がするのでありました。それでも壇の前からなかなか離れられないのは、拙生の諦めの悪さからなのでありました。ようやくに一歩遠退いてまたすぐに壇の中をふり返るその仕草も、拙生の御し難い意気地のなさからなのでありました。それにそんなことがあっても、ひょっとしたらと云う針の穴よりも小さな望みに縋って、矢張り次の日も寺を訪ねてしまうところも、拙生の覚悟に厳しさが決定的に足りないためなのでありました。
(続)
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