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万年筆のはなしⅢ [時々の随想など 雑文]

 十年程前に出た赤瀬川原平氏の『悩ましき買い物』(フレーベル館刊)と云う本をパラパラと読んでいたら、万年筆に関する項があってモンブランの特太のそのまた上の「3B」の書き味が記されているのでありました。「ペン先を紙に接した瞬間からするすると濡れた線があらわれる感じ」と云うところで、拙生の目は少し見開かれるのでありました。「当然のようにするするっとインクが出てきて、その感じがじつに上品で、しかも力強く、凄い」等と読まされるに及んで、拙生の目に妖しい光が屹度宿ったに違いないのであります。いやいや、これは危険であります。
 勿論、正気に返った拙生は高価な万年筆を買いはしません。拙生には高額過ぎるのであります。日常殆ど使わない筆記用具にそんな金は出せません。拙生は審美よりは実用を尊ぶ無粋な男であります。しかし魔がさすと云うこともありますし。・・・
 第一、今一番頻繁に使用する筆記用具はパソコンなのであります。シャープペンやらボールペンですら手にする時間が一日の内で一時間あるかないかと云う日常であります。高級万年筆一本を買う金でパソコンが一台買えるのでありますから、どう考えても拙生に冷静な判断力があれば万年筆に手が伸びる環境では絶対ないのであります。この辺は本によると赤瀬川原平氏がパソコンを殆どやらないのとは違って、拙生はパソコンを大いに使います。まあそんなこみ入った使い方や、様々なソフトを駆使してとか云ったことではないのでありますが。ですから万年筆を買うくらいであればハードディスクを一つ買い足す方が、今の拙生には適宜な買い物と云うことになるのであります。しかしまあ、ひょっとしたら魔がさすと云うこともありますし。・・・
 考えてみれば昔は万年筆を片手で操って字を書いていたのでありますが、今はパソコンを両手を使って操るわけであります。以前は片手でしていたことを今態々両手を使ってやっているのでありますから、これは進歩と云えるのでありましょうや。筆記は両手を塞がれるよりも片手の方が、空いた手で頭を掻いたり鼻を穿ったり耳朶を弄んだり、額を指の腹でトントンと叩いて言葉を思いつこうとしたり出来るのでありますから、好都合のような気がするのであります。両手が塞がれているとこの何れの所作も制限されてしまい、そうなると良い文章等はなかなか書けなくなるのかも知れません。その好例がこの駄文かと云われれば、恐れ入りましたと頭を下げる拙生であります。
 一万年後の世に万年筆が使われているであろうとは、今誰も保証出来ない話であります。パソコンも怪しいものであります。今から千年前の平安時代に藤原道長は毛筆を使っていたのであります。彼の人が幾ら英邁の人であってもまさか万年筆やパソコンの出現は想像だに出来なかったでありましょう。これが鶴は千年の昔であります。それが亀は万年の世界となると洪積世から沖積世への分岐時期、先土器文化の晩期でありますから、当然文字すらもなかったのであります。してみると拙生が高校時代に手に入れた万年筆は、いったいどのような晩年を迎えるのでありましょうや。家で飼っていた真ん丸の亀はどのような世界を、その目の閉じられる瞬間に見ているのでありましょうや。そんなことよりなにより、この数年中に拙生に魔がさして、万年筆をこの手に握ってなにやら文字を書いていることになど、本当にならないのでありましょうや。
(了)
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