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「ギターをとって弦をは」ったはいいが・・・ [時々の随想など 雑文]

 ふと思いついて、三十数年前に押入れの最奥に仕舞っておいたフォークギターを、苦労して取り出すのでありました。そう強くは感じないし、不便はなかったのでありましたが、手指のほんの少しの強張りが気になっていたので、一丁このギターを使って指先の老化防止をと、気紛れに企んだのでありました。
 今を去ること三十数年前にギターをものせんかなと思い立ったのは、アメリカのフォークシンガーで民衆詩人ウディ―・ガスリーの自伝“BOUND for GLORY”(邦題『ギターをとって弦をはれ』中村稔氏・吉田廸子氏訳、晶文社刊)に影響されてのことでありました。いやまあ、ギターを弾けるようになりたいと云う取りかかりの高揚感をその本から貰ったと云うだけで、日本の民衆詩人になろうとかそんな大それたことは勿論考えだにしなかったのでありました。ま、ギターが弾ければモテるかしらんと、そう云った下世話な魂胆等は充分過ぎるくらい持っておりましたが。で、考えたら、今回の魂胆は老化防止であります。どちらにしても拙生のギターを手に取る契機てえものは、音楽的に純粋な心がけからとはまったくもって云い難いのであります。
 前にギターを手にした時はフォークソング真っ盛りの頃でありました。吉田拓郎氏、井上陽水氏、チューリップ、かぐや姫等と錚々たるフォークシンガーが時めいていた頃であります。拙生は当初ウディ―・ガスリーとかボブ・ディランとかサイモンとガーファンクルの曲を弾き語ろうと目論んだのではありましたが、Septemberを「しぇぷてんばー」、sensationを「しぇんしぇーしょん」と九州弁混じりで英語の歌詞を怒鳴っても、これは返って恰好がよろしくなかろうと悟って、先ずは扶桑のフォークシンガーの曲をマスターしようと励むのでありました。しかし元々がだみ声で抑揚に癖があり、しかも音域が狭いときておりますから、これも見事に挫折するのでありました。それにギターも、不器用な左手は余計な弦まで押さえてしまうし、バレーコードではどの弦かが充分押さえきれないし、ミュートしたくない音がミュートしてしまうで、これもさっぱりなのでありました。短気でものぐさな拙生でありますから、コツコツと練習を積み重ねるのに倦んで、人はギターのみにてモテるに非ず、等とわけの判らないことを叫んで何時しかギターの練習は沙汰やみになるのでありました。
 それで今回、再度のギター登場であります。老化防止とはなんとなく色気のない了見に聞こえますが、なあに、あんな顔してギターが弾けるなんて案外イカしたオジサマとかなんとか云われて脂下がろうと云う魂胆は、それはやっぱり在りはするのであります。指先の老化が防止出来てその上モテれば、これはもう云うことなしでありましょう。それをこの前奥に話すと彼の房は片頬に憫笑を湛えて「ま、今回も挫折決定ね」と一言の下に断じるのでありました。斯くの如くに相方の向上心をせせら笑うとんでもないヤツであります。
 と云うわけで気を取り直して懐にギターを抱えてはみるものの、矢張り三十有余年の空白は埋め難く(まあ、元々埋めるほどの深さに達してはいないのではありましたが)、右も左も手指は縺れに縺れて、出る音はとても音楽と云う代物ではないことに辟易とするのでありました。よってまたもや沙汰やみになるのも時間の問題かとも思われるのであります。でありますから、ここにきてまことに申しわけありませんがこの頁、忘れてください。
(了)
タグ:音楽 ギター
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