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蘆花公園の白ネコⅡ [散歩、旅行など 雑文]

 緑豊かな蘆花公園をそこまで辿り着いた足取りそのままのゆるりとした歩調で散策すると、奥まった林の中に蘆花恒春園が佇んでいます。徳冨蘆花が明治四十年から死去する昭和二年まで隠棲して半農生活を送った武蔵野の面影をとどめる住居跡であります。母屋や書院、展示してある彼の人の遺品や遺墨を彼女と二人で眺めながら、キリスト教の影響から夫人にそれまでの自分の女性遍歴を洗い浚い告白し懺悔しようとしたら、夫人がヒステリーを起こしたのでぶん殴ってしまったと云ったエピソードがあるのは、確か兄の徳富蘇峰ではなく蘆花の方であったよなあなどと考えている拙生でありました。
 空を覆う雲がまたぞろ厚く低くなり始めて、林の暗がりが一層濃くなってきたのは再び多量の雨粒の来襲を予感させるのでありましたが、果たして下瞼の辺りに雨滴の降りかかる律動はアダージョからアンダンテに変わろうとしております。二人は空を見上げて雨宿るために母屋の軒下の縁にかけてある木の梯子段に座って、雨と風にさざめく木々の葉音に無言で耳を傾けているのでありました。すると木々のざわつきの間隙を縫うように、縁側の下からネコの頼りなげな鳴き声が聞こえてくるのでありました。
 上体を前に屈して股覗きすると、寒いためにか身を縮めて戦慄く一匹の白いネコと目があうのでありました。ネコは歩み寄ってきて福笑いの絵のように逆さになっている拙生の顔を凝視しながら、口を小さく開けて再度弱々しく鳴いてみせます。拙生は上体を起こして彼女にネコの存在を知らせるのでありました。
 彼女が拙生と同じ様に身を屈めて縁下を見る前に、白ネコは其処から出てきて拙生等が腰をかけている木の梯子段へ震える前足を載せるのでありました。ネコはそのまま彼女の膝によろよろと上がりこみ蹲り、彼女の顔を見上げてなにやら訴えかけるように幾度か声を上げます。彼女は少し爪先立って膝を水平に保ってネコが滑り落ちないように気遣いながら、身を避けず追い払わず、寧ろ顔を近づけてネコの表情を見るのでありました。
 白ネコからは異臭が立ちのぼっているのでありました。老ネコではないようでありましたが痩せて肋骨が浮き出ていて、顔は眼脂に汚れて手入れの痕跡が一切窺えないのは屹度此処を塒としている野良ネコなのでありましょう。彼女の穿いている白いジーパンはネコの体の汚れをうつされて、膝の辺りを中心に薄茶色の染みが出来ているのでありました。
 体の震えが止まらないのは空腹がその主な原因であろうと推察した彼女は、背負っていたリュックの脇ポケットからビスケットを取り出して、それを小さく割ってネコの口元に差し出すのでありました。白ネコが顎を上げて彼女を見ながら一声鳴くのは、まるで礼を云っているような風情でありますが、その後差し出されたビスケットに無心に齧り付くのでありました。彼女は白ネコが食べ続ける限りビスケットを与え続けるのでありました。
 雨空のためだけではなく辺りの闇が深くなっていくのは、日の入りが近づいたためでありましょう。白ネコは与えられるものがあれば際限なくそれを口に入れる積もりのようでありますし、彼女もビスケットが仕舞いになったら今度はリュックの中を捜してチョコレートとか、持っている限りの食物をこのネコに供する積もりのようであります。食物を与え続ける彼女とそれを与えられる儘口に入れ続ける白ネコの光景は、なにやら妙に、厳粛で神聖な様式美を有しているように拙生には感じられるのでありました。
 しかし夕闇の到来とようやく上がった雨と拙生のそろそろ帰ろうかと云う言葉が、この様式美に彩られた光景に終幕をもたらすのでありました。彼女は白ネコを丁重に膝から木の梯子段に下ろし、残っている食物をその前に置いて立ち上がります。白ネコは立ち上がった彼女には目もくれず、鼻を押しつけるようにしながら自分に供された食物を頬張り続けるのでありました。
 歩きだした彼女は白ネコの様子が気になるために、暫し振り返っては縁側の梯子段の方に視線を向けるのでありました。ほら、まだ必死に食べていると彼女は拙生を見上げながら云うのでありましたが、蹲った白ネコの背中が咀嚼に連動して微動しているのが、彼女にはなにやらひどく切ない光景のようでありました。彼女自身はあんまり気にはしていないようでありましたが、彼女の白いジーパンが汚れてしまったことを拙生は大いに気の毒に思うのでありました。
 ・・・・・・
 さてこの彼女でありますが、今は奥と名を変えてずっと拙生の家に居るのであります。屹度今頃は居間で寝そべって、ビスケットか何かを自らの口に放りこんでいるに違いありません。嗚呼、あの時の白ネコ程に拙生は今現在彼女に大事にされているのかどうかなどと、小さな疑問符が頭の中でメトロロームのように揺れているのでありますが、同時に拙生としては彼女に対してその亭主運の悪さを、大いに気の毒に思ったりなんかしているこの頃であります。
(了)
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